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詩篇 95章1〜11節 2017年8月10日 |
どうか、あなたがたは、きょう、そのみ声を聞くように。
あなたがたは、メリバにいた時のように、
また荒野のマッサにいた日のように、
心をかたくなにしてはならない。(7〜8) 「主に向かって喜ばしい声をあげよう」と詩篇の記者は言います。主は私たちを救ってくださったお方、大いなる神、王の王、主の主なるお方です。どんな地の深いところも、また高い山の頂もみな主のものです。主は私たちの世界のすべてを造られました。そして、そのような大いなるお方が私たちをご自身の羊のようにして養い、守り、支えてくださるのです。
ただ、私たちの現実の歩みの中には試練も困難もあるでしょう。私たちの思い通りに事が運ばず、私たちが不安になるようなそのような場面です。イスラエルの民はエジプトの奴隷生活から解放された時、その後、主に導かれて歩んでいた荒野で、何度もつぶやき、主を試みました。メリバ(またはマッサ)では、飲む水がないと言って、モーセにつぶやき、主がおられるかどうか、とさえうそぶいたのです。主は岩から水を流れ出させて彼らを満たしてくださいました。主はしようとしておられることをご存じでした。彼らは主につぶやくべきではなかったのです(参・出エジプト十七1〜7)。
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