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民数記 1章1〜19節 2015年10月24日 |
あなたがたは、イスラエルの人々の全会衆を、その氏族により、その父祖の家によって調査し、そのすべての男子の名の数を、ひとりびとり数えて、その総数を得なさい。(2) 今日から民数記に入ります。「民数記」とは、この書の最初と最後に民の数を数えた記録があるところから来ています。出エジプトの時と、四十年荒野を歩んだ後、カナンの地に入る前の時に、戦争に行くことのできる二十歳以上の者の数を数えたのでした。実際には、イスラエルが神に背いて荒野を四十年間歩むことになった経緯とその歩みが書かれていますので、「イスラエル放浪記」と呼ぶ人もいます。
エジプトを出た次の年、イスラエルの民はなおシナイの荒野にいました。そして、主はそこで、十二部族のリーダーたちの協力を得て、ひとりひとり部族ごと、氏族ごとに数を数えていったのでした。イスラエルがエジプトに下って約四百年。最初は七十人だった民が、多くの苦難を通りながらも、豊かな祝福のうちに増えていったのはただただ主の恵みとご真実のなせるわざでした。それはイスラエルが誇るためではなく、ひとりひとりが主の恵みの中にあることを確認するためでもありました。
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民数記 1章20〜46節 2015年10月25日 |
その数えられた者は合わせて六十万三千五百五十人であった。(46) 主が命じられた通りに、モーセは数を数えていき、主から名指しで立てられた各部族のリーダーたちがこの仕事にあたりました。そして、イスラエルの民も皆、共にこの働きにあたりました。大きい部族もあれば小さい部族もあります。最大部族であったのはイスラエルの子たちの中で四男でありながら長子の権を受け継いだユダの部族でした。イスラエルが地上の歩みを前にして十二人を祝福した通りになりました。
ここで数えられたのは、戦争に出ることのできる二十歳以上の者たちです。女性や子ども、高齢者などは含まれていません。古代の人々は、戦いに出ることのできる人々の数を数えて、その数で国力を測りました。王たちはこの数の多い少ないで一喜一憂しました。実際には、この数に入っていない人たちまで含めると、二百万人くらいはいただろうとされています。つまりここでは世帯数を数えたということもできます。主は荒野にあって、これほど多くの人々を守り、養われたのです。
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民数記 1章47〜54節 2015年10月26日 |
しかし、レビびとは、あかしの幕屋のまわりに宿営しなければならない。そうすれば、主の怒りはイスラエルの人々の会衆の上に臨むことがないであろう。レビびとは、あかしの幕屋の務を守らなければならない。(53) さてイスラエルの総数が六十万。しかしそこにはレビ人は入っていませんでした。レビ人は他の民と同じように数えて数を足してはならなかったのです。レビびとには特別な役割が与えられていました。それは神を礼拝するあかしの幕屋の務めにあたるということでした。彼らはその幕屋の近くに宿営し、祭司の行う幕屋の務めをサポートすると共に、イスラエルの民が導かれて道を進むときには、幕屋をたたんで運び、またイスラエルの民が宿営するときには、幕屋を組み立てることをしました。
この仕事は、レビ族だけに託されている仕事で、他の部族の人々はこれに触れてはなりませんでした。確かに約束の地に入った時にはレビ族にも、畑が与えられています。しかし、レビ族の主たる務め、最優先にすべき働きは、イスラエルの民の礼拝を祭司たちの指導の下で支えるということでした。この部族の始祖であったレビは、非常に激しい性格で、父ヤコブから叱責を受けています。しかし、主はレビ族を祝福してくださったのでした。
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