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創世記 1章1〜2節 2015年1月6日 |
はじめに神は天と地とを創造された。(1)
今日からまた旧約聖書に戻ります。聖書はその第一ページの最初で「はじめに神は」と語り出します。聖書は神の存在を論じようとはしません。神の存在はあまりにも自明のことだからです。そして、この神を第一にしていくことが聖書全体の中心的なメッセージでもあると言えます。「はじめに神」なのです。
この神はこの世に何もなく、すべてが混沌としているそのような時から、そこにおられました。そして、この神は、天も地もすべてのものを創造されたのです。すべてのものはこの神によって造られました。神は創造者であり、他のすべてのものは造られたもの、被造物です。神が創造者だということは、神が他のすべてのものと比べることのできない絶対者であり、超越者であることを示しています。ですからこの神以外のものを神として生きることはとても悲しいことです。
そして、この神が創造者だということは、造られたものすべてには神のプランがあり、目的があるのだということを意味しています。神はそのご計画の中に目的をもって世界も、そして私たちも造ってくださったのです。
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創世記 1章3〜5節 2015年1月7日 |
神は「光あれ」と言われた。すると光があった。(3) 神は何もないところから世界を創造されました。神は無から有を創造されることのできる方です。そして、神は「光あれ」と言われます。聖書の神は語られるお方です。そして、御言が語られた時、そこに光がありました。世界は神の言葉によって創造されました。神の御言は必ずそのとおりになります。神の言葉が空しく地に落ちることはないのです。
神はまた光とやみとを分けられました。昼と夜とができたのです。神は最初から人間の創造を心にとめて世界を創造しておられます。いわば、最後に創造される人間が生きるための環境を一つ一つ整えていかれたのです。植物も動物も、また人間も、昼と共に夜を必要としています。私たちは昼に主に信頼して働き、夜に主に信頼して休むのです。
第一日目が終わります。神は全能の方ですから、二四時間×七日で世界を創造することがおできになります。ただ、ここでの一日を今の私たちの時計で計る一日と考える必然性もありません。神は順序立てて世界を造っていかれたのです。
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創世記 1章6〜8節 2015年1月8日 |
神はおおぞらを造って、おおぞらの下の水とおおぞらの上の水とを分けられた。神はそのおおぞらを天と名づけられた。(7〜8) 神は二日目におおぞらを造られました。そしておおぞらは上の水と下の水を分けるものとなったのです。確かに私たちが生きるためには、地上に水がなければなりません。それと同時に、天も水の層があり、地上に雨を降らせます。地に降る雨は土を潤し、豊かな実りを与えます。また天上の水の層は、地上に有害な紫外線等が届くのをブロックしているとも言います。神は非常に深い知恵をもって世界を造っておられるのです。
そして、主はおおぞらを「天」と名づけられました。「天」は神の御座のあるところというように考えられました。ですから、私たちは、神のあわれみを求めて天を見上げます。そして、天を見上げるたびに、私たちは自分の小ささを覚えます。また自分が神のあわれみに包まれており、神のまなざしの下に置かれているものであることを自覚します。そして、天を見上げることによって私たちは希望を回復するのです。
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創世記 1章9〜13節 2015年1月9日 |
神はまた言われた、「地は青草と、種をもつ草と、種類にしたがって種のある実を結ぶ果樹とを地の上にはえさせよ」。そのようになった。(11) 創造の三日目です。神は地上の水をひとところに集めて、地上にかわいたところを造られ、それぞれ、海と名づけ、陸と名づけられました。
そして、次に主は命じて青草と種を持つ草と、実を結ぶ木を創造されました。主が語られると、そのようになったのでした。これらの植物は、このあとに創造される動物や人間の食物としてとても大切なものとなります。
主がこのところで植物を創造されたときに、「種類にしたがって」という言葉が繰り返されていきます。このことは諸生物が創造された時にも繰り返される言い方です。神が世界を創造されたときに、最初の生命あるものは神が造られたけれども、あとは突然変異と自然淘汰を繰り返す中で進化してきたのだというのではなく、最初から神は「種類にしたがって」一つ一つを創造していかれました。だからそれぞれの生物がそれぞれユニークであり、神のご計画の中にあって創造されたのです。
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創世記 1章14〜19節 2015年1月10日 |
神はまた言われた、「天のおおぞらに光があって昼と夜とを分け、しるしのため、季節のため、日のため、年のためになり、天のおおぞらにあって地を照らす光となれ」。そのようになった。(14〜15) 創造の四日目に、神は昼を照らすために太陽を造り、夜を照らすために月や星を造られました。最初に光があり、昼と夜とがあり、その後に、太陽と月や無数の星が造られました。この太陽や月や星によって、私たちは昼でも夜でも道を歩くことができます。
この太陽や月や星は単に地を照らすというだけではありません。それらは昼と夜とを分けると共に、「しるしのため、季節のため、日のため、年のため」と言われています。これらの天体によって、私たちは時間を知ることができます。またこれらの天体の存在によってまた地球の自転軸が傾いているおかげで季節の変化が生まれています。またそれらの天体を見る中で、私たちは一年がめぐってくるのを知ることができます。古代から月の満ち欠けを見ながら、人々はひと月のめぐってくるのを知り、暦を造りました。それもこれも神の深い知恵と恵みによって創造されたのです。
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創世記 1章20〜23節 2015年1月11日 |
神は海の大いなる獣と、水に群がるすべての動く生き物とを、種類にしたがって創造し、また翼のあるすべての鳥を、種類にしたがって創造された。神は見て、良しとされた。(21) 創造の第五日目です。神は水の中を泳ぐ生物と、空を飛ぶ鳥を造られました。ここでも、神は「種類にしたがって」創造されたと書かれています。単純な生物がまず最初に生まれ、そこから複雑なものへと進化していったということではないのです。
ここまでもそうでしたが、神は一日一日、創造された世界を「見て、良しとされ」ました。神なるお方が、「見て、よしとされた」ものとして世界は創造されました。世界はみな神が満足してうなずかれた、神の傑作なのです。
神はこの五日目に造られた生物を見て、祝福してくださいました。「生めよ、ふえよ、海の水に満ちよ、また鳥は地にふえよ」。そして、神に祝福された生物は海に増え、また空を飛んでいったのでした。神の造られた世界がとてもにぎやかになってきました。神のうれしそうな御顔が見えてくるようですね。
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創世記 1章24〜25節 2015年1月12日 |
神は地の獣を種類にしたがい、家畜を種類にしたがい、また地に這うすべての物を種類にしたがって造られた。神は見て、良しとされた。(25) さあ、神の創造の御業も大詰めにきました。創造の第六日目です。神は地上の諸生物を造られました。家畜と、這うものと、地の獣とを種類にしたがって、創造されたのでした。この短い節の中にも五回にわたって「種類にしたがって」と語られています。地上に住む様々な生物が造られました。ここでは、最初から家畜として造られたものがあったことも知られます。ここで分かるのは、神が創造の最後に造ろうとしておられた人間を思っておられたということです。
神はここでも、造られたものを見て、良しとされました。人間を除いてすべてのものが造られました。舞台は整いました。すべては神によって造られました。世界には創造者なる神の指紋が一面に残されています。神はこのようにして、私たちが住む場所を多くの準備をして造られたのです。そして、その神が造られたすばらしい場所に私たちを住まわせようとされたのです。
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創世記 1章26〜27節 2015年1月13日 |
神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。(27) 神はその創造の最後に人を造られました。「われわれのかたちに、われわれにかたどって」と一人称複数で語られているのは、三位一体の神が、ととることもできるのですが、この場合にはヘブル語の独特の用法で「尊厳の複数」だろうとされています。それは非常に高貴な存在を取り上げる時に、尊厳をこめて複数を用いる用法なのです。
人は神のかたちにつくられました。それは神の中にある理性・道徳性をもつもの、霊的な側面を持ち、神と対話することのできる人格を持つものとして造られたということです。また人間は三位一体の神の中にあるような交わりに生きるものとして造られました。人は神との対話に生きるだけでなく、男と女に創造され、人と人との交わりと対話の中に生きるものとして創造されたのです。神のかたちに造られたのは人間だけです。神は私たちを特別な使命と目的をもって、すばらしい存在として創造してくださったのです。
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創世記 1章28〜31節 2015年1月14日 |
神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。(28) 神が人間をお造りになった時、神は造られた人間を豊かに祝福し、子どもたちを産んで増え広がり、神の造られた世界を満たすようにとお命じになりました。そして同時に、神のかたちに造られたものとして、神にゆだねられた権威をもって地を治め、神が造られた被造物世界を支配するようにと託されたのです。
ですから人間には、神が造られた世界を正しく管理し、治め、次の世代に受け渡していく責任がゆだねられています。自然界や神様に造られた動植物たちを愛し、大切にすることは私たちの大切な務めなのです。
ところが、人間が罪を犯して神に背を向けて歩み始めたときから、人間は神が造られた世界を自分だけのために利用しようとするようになりました。そして自然は破壊され、動植物たちも絶滅の危機に瀕しています。神にあがなわれた私たちは、ごく身近な自然を大切にし、愛でることからもう一度神に託された使命を回復していきたいと思います。
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