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ゼパニヤ 1章1〜18節    2018年8月23日

主なる神の前に沈黙せよ。
主の日は近づき、主はすでに犠牲を備え、
その招いた者を聖別されたからである。(7)

 ゼパニヤはヨシヤ王の時代に南ユダ王国で主の言葉を語りました。ヨシヤ王は若くして王となりましたが、失われていた律法の書が主の宮の中で発見された時、へりくだって主に悔い改め、また民を主の御前に立ち返らせた人物です。ヨシヤ王の宗教改革は南ユダ王国がバビロンに滅ぼされる前の最後の宗教改革で、彼の死後、南ユダ王国は坂道を転がるように滅びに向かっていくことになります。
 ヨシヤ王の時代の宗教改革はとても徹底したものでした。ただ同時に、表面的には国全体が主を恐れる歩みに舵を切っているように見えながら、その悔い改めはとても表面的なものでした。ヨシヤ王の死後、民がまた偶像に戻ってしまうことからもそれが現実だったということができるでしょう。
 ゼパニヤがここで語っている「主の日」はとても厳しい裁きの日でした。自分たちが神の民だということにあぐらをかいていたイスラエルの民は、聖なる主を恐れることを学ばなければなりませんでした。



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