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マタイ 1章1節 2011年10月18日 |
アブラハムの子であるダビデの子、イエス・キリストの系図。(1)
マタイ一章は、聖書を読み始める人がまず直面する壁なのかも知れません。ただし単なる名前の羅列のように思える中にも、主の恵みが溢れています。
マタイはここでイエス・キリストについて語ります。イエスは実際の名前、キリストとはヘブル語では「メシヤ」(油注がれた者)という意味で、それは旧約聖書において約束されていた救い主の称号でした。
このお方は人間の系図の中に生まれてくださいました。このお方は神のひとり子なるお方ですが、その主なるお方が、罪深い人間の血筋の中に身を置いてくださったのです。マタイはこの救い主につながる系図をアブラハムで始めます。ルカはその福音書の中でイエスの系図をアダムにさかのぼらせています。マタイはイエスがイスラエル人の系譜の中に生まれたということを強調しているのです。
主イエスはアブラハムに約束された約束を受け継ぎ成就するお方として、またダビデに約束された王として生まれてくださったのです。 |
マタイ 1章2節 2011年10月19日 |
アブラハムはイサクの父であり、イサクはヤコブの父、ヤコブはユダとその兄弟たちとの父、(15)
系図の本体に入っていきます。神は最初アブラハムに、「地のすべてのやからはあなたによって祝福される」(創世一二3)とおっしゃいました。アブラハムには長男としてのイシマエルがいましたが、祝福の約束を受けついだのは、老年になったサラとの間に生まれたイサクでした。イサクには双子の兄弟が生まれました。祝福の約束を受けついだのは弟のヤコブでした。そして、このヤコブの一二人の子どもたちがイスラエルの一二部族を形づくっていきます。
アブラハム、イサクと受けつがれてきた祝福の約束を直接受け継いで行ったのは、四男のユダでした。長男のルベンは優しい人だったようですが女性のことで問題を起こし長子の特権を失います。次男のシメオン、三男のレビは正義感が強く情熱的だったかも知れませんが、一つの町を残虐な仕方で滅ぼしてしまうという暴挙のゆえに資格を失ったのです。ユダも決して完璧な人ではありませんでしたが、彼が家督をついでいきます。そこにあったのは神のあわれみでした。
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マタイ 1章3〜4節 2011年10月20日 |
ユダはタマルによるパレスとザラとの父・・・(3)
イエスの系図には五人の女性たちの名前が出て来ます。それぞれにイスラエルの歴史上でとても大切な役割を果たしました。この聖書の箇所には「タマル」が出て来ます(創世三八章)。タマルはカナンの女でした。実際、タマルは長男の嫁だったのです。ところがユダの長男エルは神に裁かれて死んでしまいます。タマルは深い悲しみの中、次男のオナンと再婚します。しかし、この結婚はオナンの本意ではありませんでした。オナンは罪を犯し、彼も裁かれて死んでしまいます。本来でしたら、タマルは三男のシラと結婚することになっていましたが、義父のユダはそのことを好まず、タマルを実家に帰らせます。
タマルは自分がシラの嫁として迎えられないことを知った時、策略をもってユダに近づきます。そして、ユダは自分の嫁と知らずにタマルと関係を持ち、パレスとザラが生まれたのでした。ユダの行為もタマルの行為も正当化できないでしょう。しかし主はパレスとザラを祝福されます。そこにユダの悔い改めがあったからです。
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マタイ 1章5〜6節 2011年10月21日 |
サルモンはラハブによるボアズの父、ボアズはルツによるオベデの父、オベデはエッサイの父、エッサイはダビデ王の父であった。(5〜6)
ここには二人の女性の名前が出て来ます。この二人とも異邦人です。ラハブはエリコの町の遊女であり、城壁の上の家に住んでいました。イスラエルの民が、いよいよカナンの地に入って来るという時、彼女はヨシュアが送ったスパイをかくまい、一族と共に命を救われたのでした。
もう一人の女性はモアブの女ルツです。モアブはアブラハムのおいロトの子孫とされています。そして、モーセの時代にイスラエルに対して行った悪しき業のために、モアブ人は主の会衆に加われないという規定が残されていました。しかしルツは自分の夫が召されてからも、しゅうとめを慕ってイスラエルに移住し、しゅうとめのお世話をすると共に、不思議な導きの中でボアズと再婚し、ダビデの曾祖母になっていきます。主の御業は人間の弱さや罪深さを越えて働いていくのです。 |
マタイ 1章6〜11節 2011年10月22日 |
ダビデはウリヤの妻によるソロモンの父であり、(6)
ダビデは統一イスラエル王国としては二人目の王でした。初代のサウルが神に背いて、捨てられていくという中で、若くして王として油注がれます。ただ、実際に彼がユダ族の王となるのは三十歳の時、全イスラエルの王となるのはその七年半後でした。
若い頃ダビデは多くの試練を経験し、サウル王のねたみをかって逃げ回らなければなりませんでした。ただ彼が王になってからの後半生は、より自分自身の罪深さや、また自分の罪が遠因となった家庭内のトラブルに最後まで苦しみました。
ウリヤとはダビデの忠臣の一人です。けれども、ダビデは、ウリヤを戦いに送り出して、留守の間にその妻バテシバと関係します。そして、彼女の妊娠がわかると、ウリヤを戦いの最前線に送って戦死させたのでした。けれども、そのような人間の側の罪深さにも関わらず、悔い改め、砕かれたダビデの上に主の恵みはさらに豊かに注がれました。ダビデに続く名前はイスラエルの王たちです。善王もいましたが、悪王たちも多くいて、結局国は滅んでいきます。けれども、主の祝福の約束は続いていました。 |
マタイ 1章12〜17節 2011年10月23日 |
バビロンへ移されたのち、エコニヤはサラテルの父となった。サラテルはゾロバベルの父、(2)
イスラエルの民は罪を犯して、国を失いバビロンに捕囚として引いて行かれます。けれども主は預言者たちによって語られていたように、イスラエルの民を再び母国に帰らせてくださいました。その時代の人物がゾロバベルです。エズラ記やハガイ・ゼカリヤ書では、ゼルバベルと言われています。ゼルバベルは政治的なリーダーではありましたが、いわゆる王ではありませんでした。また、ゾロバベルの後に出てくる人物たちも王ではありませんでした。
実は旧約聖書の最後のマラキ書と、このマタイの間の四百年の間に、イスラエルが独立王国となった時期がありました(紀元前一四三〜六四)。この独立の経緯は旧約聖書外典(続編)に書かれています。ただこの独立期も内部紛争が多く、結局ローマの支配下に組み入れられていきます。
けれども、そのような中で、ダビデの血筋をひくヨセフの子として、まことの王であられる主イエスはお生まれになったのです。 |
マタイ 1章18〜25節 2011年10月24日 |
「見よ、おとめがみごもって男の子を産むであろう。その名はインマヌエルと呼ばれるであろう」。これは、「神われらと共にいます」という意味である。(23)
イエスの母マリヤは、婚約者ヨセフとの結婚の前に聖霊によって身重になります。ただヨセフはマリヤが身重になったというニュースを聞いて、結婚を断念し、ひそかに婚約を解消しようとします。その当時、結婚前に身重になり、そのことをヨセフが訴え出たら、マリヤは死刑になっていたことでしょう。
けれどもヨセフのところにも、夢の中で御使いが現れて、マリヤの妊娠がマリヤの裏切りによったのではなく、聖霊によるものであること、生まれてくる子が民に罪の赦しをもたらす方だということを告げた時、ヨセフはすぐにマリヤを自分の妻として受こけ入れたのでした。
マタイは読み手の人々に対して、このイエスの誕生がイザヤ七14の成就だったと指摘します。処女が子を産むということ、その生まれた子どもによって、「神が我らと共にいます」(インマヌエル)ということが実現するということです。 |
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