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詩篇 32章1〜11節 2017年6月6日 |
そのとががゆるされ、
その罪がおおい消される者はさいわいである。
主によって不義を負わされず、
その霊に偽りのない人はさいわいである。(1〜2) ダビデの悔い改めの詩篇とも言われるものの一つです。特に、ダビデがバテシバと姦淫し、彼女の夫ウリヤを策略をもって殺したことが背景にあるとされています。彼がウリヤを殺したことは、軍の将ヨアブ以外には誰も知りませんでした。そして未亡人となったバテシバを何食わぬ顔をして自分の妻とし、バテシバのお腹にいた赤ちゃんが不貞の結果、妊娠したということを知っていたのも極々少数の人たちだけだったでしょう。そして知っていたとしても彼らは口を閉ざし、ダビデに文句を言ったり、糾弾したりしませんでした。すべてが彼の思い通りに進んでいたように見えます。しかし、神はダビデの罪を知っておられました。そしてダビデは非常に苦しみます。明らかに神との関係が変わってしまったのをダビデは感じたのです。そのような中でついにダビデは自分の罪を告白し、神もその罪をゆるしてくださいました。そして、ダビデはゆるされた者のさいわいとその喜びを歌うのです。
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