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詩篇 89章1〜18節    2017年8月2日

あなたのいつくしみはとこしえに堅く立ち、
あなたのまことは天のように
ゆるぐことはありません。(2)

 この詩篇の作者は、心から主をたたえ、そのいつくしみとまことを歌います。そして、主の恵みを代々、世代を超えて語り伝えていくのです。私たちが神の恵みを経験する時に、その恵みをあかしすることはとても大切なことです。神の御業を語り、神に感謝し、その御名をほめるときに、私たちは神を自分たちの周囲の人々に語り、また自分の次の世代の人々にもその主の御業を語り継いでいくのです。
 私たちは揺らぐことがあります。不安になったり、動揺することがあります。しかし、主のご真実はいつも変わりません。私たちが上を見上げるときに、いつもそこに天があるように、主のまことは変わることがないのです。主は天も地もすべてのものを創造し、またイスラエルをエジプトから救い出されました。主にはどんなことでもおできになります。このような大能の神は他にないのです。 

詩篇 89章19〜37節    2017年8月3日

しかし、わたしはわがいつくしみを彼から取り去ることなく、わがまことにそむくことはない。わたしはわが契約を破ることなく、わがくちびるから出た言葉を変えることはない。(33〜34)

 この詩篇の作者は昔幻のうちに主が語られたことを思い起こします。私たちの信仰の歩みの中で、いつでも大切なのは、主の語られた御言葉を思い起こす事です。彼が思い起こした言葉は、数百年も前に語られた言葉だったかもしれません。しかし、主が語られた言葉はどれだけ昔に語られた言葉であっても、古くなったり、正味期限切れになったり、無効になってしまうことはありません。ひとたび主が語られたら、その言葉は決して変わることはないのです。
 主はダビデを選び、彼にその油を注いで、主の特別な使命のために聖別されました。主は常に彼と共にいて、彼を強くすると語られました。ダビデと神との間には親しい交わりがありました。そして、主はまた、ダビデの子孫が主に背く時にはその罪は裁かれなければならないけれども、それでダビデの子孫を全く見捨てることはないと語られたのでした。

詩篇 89章38〜52節    2017年8月4日

主よ、あなたがまことをもってダビデに誓われた
昔のいつくしみはどこにありますか。(49)

 神はダビデを選び、彼と契約を結んで、彼の子孫が代々王になることを約束し、またダビデの子孫を決して見捨てないことを語っておられました。しかし、ダビデの子孫として王位を継いだ王たちが神に背き続けた時、敵はエルサレムに攻め上り、エルサレムの都も、そこにあった神殿も城壁も廃墟となり、民はバビロンの地に捕囚として引いて行かれました。
 この詩篇の記者は神の怒りが激しく燃えているのを見ています。しかし、同時に、彼は主のいつくしみにすがります。神がダビデに約束された約束にもう一度すがります。確かに罪を犯したのは自分たちです。けれども、そんな自分たちをなおもあわれんでくださる主を仰ぐのです。神は決してこれで終わりにはなさらない、必ず、もう一度ゆるし、回復し、その祝福にあずからせてくださる・・・。それは安易な救いを期待するということではありません。自分たちの罪とそれに対する神の怒りを受けとめながら、なお主のあわれみにすがるのです。 



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