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イザヤ 66章1節〜24節 2018年2月28日 |
しかし、わたしが顧みる人はこれである。
すなわち、へりくだって心悔い、
わが言葉に恐れおののく者である。(2) イザヤの時代のエルサレムの神殿は、栄華を極めたソロモンが建てた荘厳なものでした。けれども、どんなにすばらしい神殿も、人間の手によって作られたものの中に神を押し込むことはできません。人が神のために何ができたとしても、その業によって神に認められることはできません。すべてのものは神から来ているからです。
神が喜び、また目を止めてくださるのは、私たちがどれだけ偉大かではありません。神が顧みてくださるのは、へりくだって心悔いている人の姿です。また神の言葉を聞いて、恐れおののく姿です。
神の言葉を聞こうとせず、また従おうとしなかったイスラエルの民は国を失ってしまいました。しかし、神はそれでもなお真実を尽くし、民をあわれんで救ってくださいました。主は民を慰めてくださいます。そして、主はイスラエルだけでなく、すべての民の中から御言に聞き従う者たちを集め、その新しい天と地に住ませようとしておられたのです。
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