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イザヤ 11章1〜16節 2017年12月27日 |
エッサイの株から一つの芽が出、その根から一つの若枝が生えて実を結び、その上に主の霊がとどまる。
これは知恵と悟りの霊、深慮と才能の霊、
主を知る知識と主を恐れる霊である。(1〜2) エッサイとはダビデの父親です。「ダビデの株」と言わずに「エッサイの株から」と言ったのはやがて来られる救い主のダビデとの連続性と断続性を示しているとされます。ダビデ王家はやがて切り倒されるが切株が残される。そして、ダビデ王の血筋を引きつつも、ある意味、ダビデ王とは全く違う王が来られる、というのです。
このお方には主の霊がとどまっており、知恵に満ち、真実を見分けることができる。考え深く、また実行力がある。そして何よりも主を知り、主を恐れて歩むのです。彼は主を恐れることを楽しみとします。主を恐れて生きることは、私たちの本来的なあり方であり、それは楽しいことなのです。そして、この方は正義と公平をもって国を治め、平和をもたらします。もはやそこにはだましあったり、傷つけ合うようなことはありません。このお方によって主を知る知識が地に満ちます。単なる教科書的な知識ではなく、主との交わりを楽しむ喜びが地に満ちるのです。
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