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イザヤ 61章1節〜11節 2018年2月23日 |
わたしは主を大いに喜び、わが魂はわが神を楽しむ。
主がわたしに救の衣を着せ、義の上衣をまとわせて、
花婿が冠をいただき、
花嫁が宝玉をもって飾るようにされたからである。(10) 主イエスは、ナザレの会堂でこの章の始めのところを読んで、この聖句は、今この時、成就したと宣言されました(ルカ四16〜)。主イエスはこの聖句が御自分についての預言であることを理解しておられたということです。主イエスは油注がれた神の特別なお方、メシヤとして、この世に来てくださいました。そしてこのお方は、決して、裕福でこの世の権力を握っている人々に媚びを売り、力ある人々に利益をもたらすお方としてではなく、貧しい者・心のいためる者・捕らわれ人・縛られている者・悲しむ者に救いをもたらす方として来てくださいました。
そして主はこのメシヤによって、私たちに罪のゆるしを与え、救いの衣を着せて、花婿・花嫁の装いを与えてくださいます。私たちは主を喜びます。私たちを愛し、私たちを受け入れ、救ってくださった主を喜びます。どんなものにまさって、主は私たちの喜びであり、私たちの楽しみです。
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