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イザヤ 52章13節〜53章12節 2018年2月15日 |
彼はみずから懲しめをうけて、
われわれに平安を与え、
その打たれた傷によって、
われわれはいやされたのだ。(5) 今日の聖書の箇所はイザヤ書のしもべの歌のうち、四つ目のものであり、そのクライマックスです。神がイスラエルのために遣わしてくださる救い主はしもべなのだ。しかし、その救い主が来られた時に、人々はそのお方を大歓迎するわけではない。それはその救い主がしもべとして、しかも、「見るべき姿がなく、威厳もなく、慕うべき美しさもない」状態だったからです。私たちは強いもの、美しいもの、たくましいものにひかれます。しかし、このしもべは病を負い、悲しみ、苦しみ、傷ついています。神からも見捨てられ、裁かれているのだと思わずにはいられません。
しかし、そのしもべの傷ついた姿は、私たちの罪を身代わりに負った救い主の姿でした。この救い主は何も言い訳せず、自己主張をすることもなく、黙々と苦しみとはずかしめを通っていきます。そして、このお方の苦しみのゆえに、私たちに癒しと、ゆるしと、平安と、救いとが与えられたのです。
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