chuo@8008amen.com


バックナンバー

旧約聖書
創世記
出エジプト記
レビ記
民数紀
申命記
ヨシュア記
士師記
ルツ記
サムエル記上
サムエル記下
列王記上
列王記下
歴代志上
歴代志下
エズラ記
ネヘミヤ記
エステル記
ヨブ記
詩篇
箴言
伝道の書
雅歌
イザヤ書
(章) 1 2 3 4 5 6 7 8
 9 10 11 12 13 14
 15 16 17 18 19 20
 21 22 23 24 25 26
 27 28 29 30 31 32
 33 34 35 36 37 38
 39 40 41 42 43 44
 45 46 47 48 49 50
 51 52 53 54 55 56
 57 58 59 60 61 62
 63 64 65 66
エレミヤ書
哀歌
エゼキエル書
ダニエル書
ホセア書
ヨエル書
アモス書
オバデヤ書
ヨナ書
ミカ書
ナホム書
ハバクク書
ゼパニヤ書
ハガイ書
ゼカリヤ書
マラキ書
新約聖書
イザヤ 3章1〜26節    2017年12月18日

正しい人に言え、彼らはさいわいであると。
彼らはその行いの実を食べるからである。(10)

 イザヤが仕えていた南ユダ王国は代々、ダビデの子孫が王として治め、またその首都エルサレムにはソロモン王の時代(イザヤの時代からすると二百五十年から三百年前)に建てられた荘厳な主の神殿があり、そこはとこしえに主がその名を置かれた都とされていました。そして、そのエルサレムをいただく南ユダ王国はイスラエル王国を代表する存在であり、主は永遠にこの国を栄えさせてくださるという自負がありました。しかしいつしかその自負はおごりとなり、自分たちはどんなに罪を犯しても神に見捨てられることはないという開き直りとなり、彼らは自分の思いのままに罪を犯し続けて、聖なる神の民としての実質を失っていました。しかも国の指導的な立場にあり、人々の模範となって、国を導くべき人々が罪を犯している・・・国は指導者を失って危機的な状況に陥ろうとしていました。そのような中でも、エルサレムの金持ちの娘たちは身を飾り、外見を飾ることに夢中になっていました。しかし、彼らにも滅びが迫っていました。大事なことは主にすがり、罪から離れて正しく生きることでした。 



礼拝メッセージ
毎週日曜日の
礼拝での
メッセージから


生活の処方箋
日々を楽しく過ごす
ためのヒントが
ここに