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イザヤ 50章1〜11節 2018年2月12日 |
主なる神は教をうけた者の舌をわたしに与えて、
疲れた者を言葉をもって助けることを知らせ、
また朝ごとにさまし、わたしの耳をさまして、
教をうけた者のように聞かせられる。(4) この章の4節のところからは第三のしもべの歌です。神が民の救いのために遣わされるしもべなるメシヤは耳を開かれ、耳を覚まして、神に聞くことができました。主イエスの時代には、多くのユダヤ人の宗教指導者たちがいましたが、彼らの多くはこの「神に聞く」ということに大きな問題を抱えていたように思います。このしもべは「朝ごとに」耳をさまして聞きました。単に耳で聞いているというだけではありません。「耳を開く」とは、奴隷が一生主人に仕えるという決断をしたときに、耳に穴を開けたところから来ています。このしもべなるメシヤは主にその生涯をささげ、神の御声を聞き、人々に恵みの言葉を語りました。彼の言葉は人々をいやし、助けたのです。しかし、同時に、彼は打たれ、ひげを抜かれ、はずかしめられ、つばきをかけられます。このしもべなるメシヤの受難が語られ始めます。まさに主イエスは受難のメシヤとして立ってくださったのです。
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