バックナンバー
|
イザヤ 40章1〜11節 2018年1月26日 |
あなたがたの神は言われる、
「慰めよ、わが民を慰めよ、・・・」(1) イザヤ書は一〜三五章までの前半と、三六章から三九章までのつなぎの部分、そして四十章以降の後半に分けることができます。前半部には主にすがろうとしないイスラエルに対する裁きが語られていました。そして主に信頼することの大切さと祝福が語られたのですが、四十章以降では、裁きからの回復と、本当の救いのために主が送って下さるしもべとしてのメシヤについて語っています。
四十章は、主の慰めの宣言から始まります。罪を犯して、神の裁きの下に置かれたイスラエルの民が罪赦され、主の慰めが与えられるのです。ここで言う「慰め」とは単に無条件に受け入れるということではありません。そこには、まず罪に対する悲しみと嘆きがあります。主は罪を犯して滅んでいこうとしているイスラエルの民に慰めと回復を告げようとしておられます。そして、この慰めの時が単にイスラエル王国の再興ということではなく、主イエスの誕生に関わってもたらされるものであることは、3節の預言を新約の著者たちがバプテスマのヨハネと結びつけていることからも明らかです。
|
イザヤ 40章12〜26節 2018年1月27日 |
目を高くあげて、
だれが、これらのものを創造したかを見よ。(26) 神はとても大きなことをしようとしておられました。誰も考えつかないような大きなことです。聞いてもにわかには信じられないようなすばらしい救いのわざを主はなそうとしておられました。このお方は、確かにイスラエルにおいて礼拝されている神でしたけれど、同時に、天地をお造りになった創造者です。海も山も丘も皆、このお方によって造られました。このお方にとっては、もろもろの国民もおけの一しずくのようです。
すべての国の支配者たちもこのお方によって立てられ、このお方によって滅んでいきます。それなのに偶像にすがるのは全く理にかなわないことです。偶像は天地を造ることも、歴史を支配することもないからです。
私たちの神は力のある方です。いろいろなことで行き詰まり、また不安を感じる時、私たちは比較にならない大きな力と知恵をもっておられる比類なき神なる主を仰ぎ、創造者なるお方に思いを向けることです。主には私たちを救うことがおできになるからです。
|
イザヤ 40章27〜31節 2018年1月28日 |
しかし主を待ち望む者は新たなる力を得、
わしのように翼をはって、のぼることができる。
走っても疲れることなく、
歩いても弱ることはない。(31) イスラエルの人々は様々な困難の中に置かれた時、しばしば「わたしの道は主の目から隠れている」「神は分かってくれない」「助けてくれない」とつぶやきました。私たちはそんなイスラエルの民の気持ちを理解できるかもしれません。
しかし、私たちが大いなる神を見上げるときに、疑問や恐れや不安は消え去っていきます。神は地の果ての創造者、弱ることなく、疲れることなく、はかりがたい知恵を持っておられるお方です。そうであるにもかかわらず、主は弱った者・勢いのない者・疲れている者に目をとめて、力と強さを与えてくださるのです。
人間の力や強さ、若さなどに頼ってはいけません。私たちが仰ぎ、信頼し、待ち望むのは主です。疲れること弱ることがあっても、主は私たちに新しい力を与えてくださって、鷲のようにのぼる力強い生涯を歩ませてくださいます。
|
|
|