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イザヤ 49章1〜13節    2018年2月10日

主はこう言われる、
「わたしは恵みの時に、あなたに答え、
救の日にあなたを助けた・・・」(8)  

 四九章1節以降は、イザヤ書にある四つのしもべの歌の第二のものです。イザヤ書では、王がしもべと呼ばれたり、またイスラエルの民がしもべと呼ばれることがありますが、この3節で「わがしもべ」と呼びかけられているのは、やがて神がこの世に遣わそうとしておられたメシヤを指し示していたのです。この章の最初の部分では、しもべなるメシヤが、「わたし」と一人称で語ります。このメシヤは生まれた時から神に選ばれ、立てられた存在で、「鋭利なつるぎ」「とぎすました矢」のように大きな働きをしようとしておられました。しかし、その働きはなお人々の目からは隠され、またそのしもべなるメシヤの働きは人々に理解されず、無駄であるかのように思われます。しかし、神はその「しもべ」を用いて民を救おうとしておられたのでした。まさに、神は主イエスによってそのことを成就されました。主イエスによって恵みの時、救いの日がもたらされたのです。

イザヤ 49章14〜26節    2018年2月11日

女がその乳のみ子を忘れて、その腹の子を、あわれまないようなことがあろうか。たとい彼らが忘れるようなことがあっても、わたしは、あなたを忘れることはない。見よ、わたしは、たなごころにあなたを彫り刻んだ。(15〜16) 

 イスラエルの民は自らの罪のゆえに苦難の時代を通らなければなりませんでした。それでもなお神はイスラエルをあわれみ、全く滅ぼし尽くすことはせず、回復の計画をもすでに明らかにしておられました。ただイスラエルの民は、神のあわれみをしっかり受けとめることができません。「主はわたしを捨て、忘れられた」と、自分の罪を悔い改めるというよりも、神に対する不信の思いを口にしているように聞こえます。
 けれども、主はなおも民に対して愛の呼びかけを続けられたのでした。女が自分の子を忘れ、あわれまないことがあろうか。確かに人間の親は子どもを捨てることがあるかもしれません。ただ普通は親の子を思う愛は深いと考えられています。その親が子を捨てるということがあっても、主は忘れることはありません。主はご自身の手のひらに、決して消えない名として、私たちの名前を彫り刻んでくださっているのです。



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