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イザヤ 43章1〜13節 2018年2月1日 |
ヤコブよ、あなたを創造された主はこう言われる。
イスラエルよ、あなたを造られた主はいまこう言われる、
「恐れるな、わたしはあなたをあがなった。わたしはあなたの名を呼んだ、あなたはわたしのものだ。(1) ヤコブはアブラハムの孫、そしてイスラエルというのは、神がヤコブに与えてくださった新しい名前でした。神はヤコブを創造し、またヤコブを練りきよめて、神の器として造ってくださいました。そしてこのヤコブとか、イスラエルとは単に個人の名前ではなく、民族の名前となりました。しかし、神に創造され、造られた民イスラエルは神に背き、罪を犯して、神の裁きの下に置かれたのでした。
けれども、神はイスラエルを大きな代価を払ってあがない、その名を呼び、「わたしのもの」と宣言してくださいました。そして再び、ご自身の栄光をあらわす器として用いて下さろうとしていたのです。
確かにイスラエルは罪を犯しました。義なる神はそのきよさのゆえに、汚れたイスラエルを裁かないではいられません。しかし、神は、ご自身の目に尊く、重んぜられるもの、高価で尊いものとしてあがない、もう一度愛の招きを与えてくださったのです。
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イザヤ 43章14〜28節 2018年2月2日 |
見よ、わたしは新しい事をなす。やがてそれは起る、
あなたがたはそれを知らないのか。
わたしは荒野に道を設け、さばくに川を流れさせる。(19) イスラエルの民にとって、その歴史の原点は出エジプトの出来事でした。エジプトで奴隷として苦しい生活を強いられていた民が、神の力強い御手によって救い出されたという出来事です。神はイスラエルをエジプトから贖い出し、そして、エジプトから出た民が前には紅海、後ろにはエジプトの軍隊という絶体絶命の大ピンチになった時も、主は海を二つに分け、海の中に大路を設けてイスラエルの民に乾いた地を歩かせてくださいました。
イスラエルの民は、国難にあたるたびに、出エジプトの出来事に心を向けました。ですから、イスラエルの民がバビロンに滅ぼされ、国を失って、捕囚の地に移された時には、当然、救いを待ち望んで、かつて自分たちの先祖たちが経験したことを思い起こしたに違いありません。しかし、主はここでは「あなたがたは、さきの事を思い出してはならない」とおっしゃいました。主は「新しい事」もっと大きな救いの御業をあらわそうとしておられたのです。
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