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イザヤ 5章1〜30節 2017年12月20日 |
わたしはわが愛する者のために、
そのぶどう畑についてのわが愛の歌をうたおう。(1) ここにあるのは神の愛の叫びです。神はイスラエルを愛し、南ユダ王国の人々を愛しておられました。エルサレムは主の愛する都でした。預言者はイスラエルの民をぶどう畑にたとえています。ぶどうはきちんと手入れをすれば良い実を結ぶものです。逆に世話をしないでいると、野ぶどうになってしまい、何の役にもたたなくなってしまいます。主はイスラエルの民を良い地に植え、最高の手入れをし、当然豊かに良い実を結ぶものと期待しておられました。しかし、結んだのは野ぶどうでした。公平や正義の実を期待しておられたのに、結んだのは流血や叫びでした。
ここに繰り返される「わざわいなるかな」という言葉は深いため息にも似た嘆きの叫びです。彼らは悪と善とを全く逆転させてしまっていながら、自分を賢い者というのです。イスラエルは神が選ばれ、愛しておられた民でした。しかし、そのイスラエルの民に神の裁きが迫っていました。
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