バックナンバー
|
イザヤ 48章1〜22節 2018年2月9日 |
どうか、あなたはわたしの戒めに聞き従うように。
そうすれば、あなたの平安は川のように、
あなたの義は海の波のようになり・・・(18) イスラエルの民は、自分たちが主に選ばれ、あがなわれた民である、ということを誇ることはできませんでした。イスラエルの民はしばしば真実や正義を捨て、偶像にすがり、神に背いたからです。本来でしたら、イスラエルの民は全く捨てられ、神に滅ぼされ、絶やされても仕方がなかったことでしょう。確かにイスラエルの民は、自分たちの罪のゆえに、国を失い、捕囚の民とならなければなりませんでした。非常に大きな苦しみ・悲しみ・悩みのときを通らなければならなかったのです。しかし、それは単なる裁き、罰、ペナルティではなく、主の備えられた「苦しみの炉」でした。主は、彼らを聖なる民として整えようとしておられたのです。
そして主は、イスラエルの民に、ご自身の言葉を聞き、その戒めに従うようにと語られます。神に従うときに、主は川のような平安、海の波のような義をイスラエルに与えようとしておられたのです。
|
|
|