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エレミヤ 51章1〜19節 2018年4月28日 |
ヤコブの分である彼はこのようなものではない、
彼は万物の造り主だからである。
イスラエルは彼の嗣業としての部族である。
彼の名は万軍の主という。(19) バビロンに対する預言の言葉が続きます。その当時の世界一の大国であったバビロンをも裁くお方がおられます。それが主です。バビロンはまるで、自分自身が強く、また大きな国だと言うかのように誇り高ぶっていました。けれども、バビロンは主の裁きをもたらすために用いられた主の道具に過ぎませんでした。ですから、バビロンも罪を犯し続けたときに、主の裁きの手の下に置かれようとしていたのです。
バビロンは自らを誇り、自分たちの拝んでいる神々を誇ったかも知れません。しかし偶像の神々は生きていませんし、それにすがる人を救うことはできません。しかし、主は万物の造り主です。このお方は生きておられるお方、生かすことのできる方です。神は必ず正しい裁きを行ってくださいます。私たちはこのお方によって選ばれ、またこのお方のものとされています。このお方に感謝をささげ、このお方をたたえて歩みたいと思います。
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エレミヤ 51章20〜40節 2018年4月29日 |
その地は震い、かつもだえ苦しむ、
主がその思い図ることをバビロンにおこない、
バビロンの地を、住む人なき荒れ地とされるからだ。(29) バビロンは栄え、多くの国々を征服し、また世界中の富を集めたことでしょう。しかし、富んでいるとか、大きな権力を持っているということはその人が神に喜ばれ、正しく歩んでおり、また神から喜ばれているという証拠ではありません。ただ、私たちは、神に従わない人々が栄えるのを見、また神の御前に正しく生きようとしている自分がいろいろな苦難にあうことがあると、とても混乱します。ただ、主は必ず正しい裁きを行ってくださいます。バビロンはやがqてエレミヤが預言していたように、「荒れ塚となり、山犬のすまいとなった」のでした。
聖なる主はバビロンに対しても、計画をもっておられました。私たちに対しても同じです。主は思い図り、また思い図ったことを必ず実現して下さる方です。私たちはこの力ある主を仰ぎ、従うお互いでありたいと思います。
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エレミヤ 51章41〜64節 2018年4月30日 |
つるぎをのがれてきたあなたがたは、
行け、立ちとどまってはならない。
遠くから主を覚え、エルサレムを心にとめよ。(50) 主はイスラエルの民の罪のゆえに、彼らを攻め、滅ぼされました。しかし、主は全く滅ぼし尽くすことはせず、残りの者を残してくださいました。彼らが自分たちが見たこと聞いたことを語り継ぐためです。そして主は残された者たちに、主を覚え、エルサレムを心にとめるようにと語られたのでした。
エレミヤは捕囚の民としてバビロンに引いて行かれる人々に神の言葉の書かれた巻物を託し、バビロンについたらその巻物に書かれた預言の言葉を読むようにと伝えます。それはバビロンに対する裁きのメッセージでした。そしてその後、巻物におもりをつけ、ユフラテ川に投げこむようにと命じます。それはバビロンが水に沈めた巻物のように滅びて、二度と浮かんでこない、ということを象徴する行為でもありました。主は必ず正しい裁きを行ってくださるお方です。私たちはこのお方に信頼して真実な歩みをさせていただきたいと思います。
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