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エレミヤ 16章1〜21節 2018年3月16日 |
こののち『イスラエルの民をエジプトの地から導き出した主は生きておられる』とは言わないで、『イスラエルの民を北の国と、そのすべて追いやられた国々から導き出した主は生きておられる』という日がくる。(14〜15) エルサレムに非常に大きな裁きの時が迫っていました。平安も喜びも楽しみもその地から取り去られようとしていました。神は彼らが自分の罪を嘆き、へりくだり、悔い改めて、主に信頼する者たちとなることを願っておられました。しかし、実際には、彼らは「神の裁き」と言われても、自分がどんな罪を犯しているのか、神が何を怒っておられるのか、全くと言っていいほど、自覚がありませんでした。彼らが神以外の偶像を拝み従っていることがどんなに大きな罪かを彼らは知らなければなりませんでした。彼らは罪を犯し、彼らに語り続けた神の呼びかけをも、強情な心で拒み続けたからです。
イスラエルの民がその嗣業の地から追いやられるときが近づいていました。けれども同時に、主はその裁きの向こうに癒しと回復を備えておられました。エジプトで奴隷であったところから救い出されたということはまさにイスラエルの歴史の原点でした。しかし、それと共に、それ以上に捕囚からの回復がその歴史の転機として刻まれようとしていました。
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