バックナンバー
|
エゼキエル 48章1〜35節 2018年6月26日 |
この日から後、この町の名は「主そこにいます」と呼ばれる。(35) エゼキエルが捕囚の民の一人としてバビロンに連れてこられたときには、すでに北イスラエル王国は存在していませんでした。しかしここで、エゼキエルが見ているのは、北イスラエル王国とそれを構成する十部族も、南ユダ王国とそれを構成する二部族も、最初ヨシュアによって約束の地を割り当てられたときと同じように、またダビデやソロモンの時代と同じように、十二部族で構成される一つの国として回復していくという姿でした。
その十二部族の中心にあるのは主の聖所でした。彼らはまさに主の民として、主に聖なる者たちとして、主を中心とした国を作っていきます。そして、その中心にある町は「主そこにいます」と呼ばれます。それこそがエルサレムの名、イスラエルのイスラエルたるゆえんであったとも言えます。
エゼキエルはなお捕囚の民の中にいます。そしてエルサレムはなお廃墟です。しかし、エゼキエルは回復したイスラエルを見ています。そして、まさにエゼキエルが見せられた通りになったのでした。
|
|
|