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エゼキエル 8章1〜18節 2018年5月15日 |
人の子よ、イスラエルの家の長老たちが暗い所で行う事、すなわちおのおのその偶像の室で行う事を見るか。彼らは言う、「主はわれわれを見られない。主はこの地を捨てられた」と。(12) 主がエゼキエルに語られたのは捕囚になって第五年の四月五日でした。一年あまりがたった第六年の六月五日に、神の手がエゼキエルに臨み、幻のうちにエゼキエルをエルサレムに連れて行きました。するとどうでしょう。神殿の入り口に偶像が安置されています。神殿の壁にも偶像が描かれています。主の宮の入り口では、神殿に背を向けて、太陽を拝んでいます。人々は主に祈り、悔い改めてすがるのではなく、「主はこの地を捨てられた」と言って、ますます偶像礼拝に夢中になっていたのです。イスラエルの指導的な立場に立っている長老たちが、暗いところで、また隠れてしていることを神は見ておられました。
私たちは、隠れたところでどのように生きているかを問われています。主は見ておられます。主は知っておられます。人の前で模範となるような生き方ができるようにということはもちろんですが、人が見ていても見ていなくても、主の御前に真実に生きる者でありたいと思います。
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