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エゼキエル 35章1〜15節    2018年6月12日

それゆえ、主なる神は言われる、わたしは生きている。あなたが彼らを憎んで、彼らに示した怒りと、ねたみにしたがって、わたしはあなたを扱う。わたしがあなたをさばく時、わたし自身をあなたに示す。(11)

 セイル山とは、死海の南側に住んでいたエドム人の地です。エドムびとは、アブラハムの孫のひとりエサウの子孫です。ですからエドムびとはまさに、イスラエル民族とは兄弟関係になります。しかし、イスラエルが滅んでいったとき、エドムびとは滅びの中に置かれていたイスラエルの人々に襲いかかるようなことをしました。火事場泥棒ではありませんが、イスラエルが滅んだ隙に、イスラエルの領土も含めて全部自分たちのものにしてしまおうと考えたのかもしれません。しかしエドムの人々はイスラエルの滅びを喜び、また自ら誇り高ぶるべきではありませんでしたし、苦しみの中にあるイスラエルの人々を憎んだり、ねたんだりすべきではありませんでした。イスラエルに臨んだように、エドム人たちの地にも裁きが臨もうとしていました。エドム人たちも、自分たちに襲いかかる滅びの中で、主を恐れることを学ばなければなりませんでした。



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