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創世記 36章1〜14節 2015年4月15日 |
エサウは妻と子と娘と家のすべての人、家畜とすべての獣、またカナンの地で獲たすべての財産を携え、兄弟ヤコブを離れてほかの地へ行った。彼らの財産が多くて、一緒にいることができなかったからである。(6〜7) この章ではエサウの系図が取り上げられています。エサウはその地のカナンの娘たちを妻にめとります。ヘテ人エロンの娘アダとヒビ人アナの娘アホリバマです。この女性たちはイサクとリベカの悩みの種となった女性たちでした。後に、エサウはイシマエルの娘ネバヨテの妹バスマテをもめとります。
エサウは、神の祝福を軽んじたために、長子が受け継ぐことになっていた神の祝福にあずかることができませんでした。しかし、アブラハムの子のイシマエルをも祝福してくださった主は、エサウをもあわれんで多くの子を与え、また多くの財産に富ませてくださいました。ヤコブが家族と財産を連れて帰ってきたとき、ヤコブとエサウはほどなくして、その地がヤコブとエサウの両方を支えるには狭すぎることに気づきました。そして兄エサウの方が他の地に移っていきます。エサウも多くを与えられていたことでしょう。しかし、アブラハムの祝福を受け継いだのはあくまでもヤコブだったのです。
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創世記 36章15〜30節 2015年4月16日 |
このアナは父ヂベオンのろばを飼っていた時、荒野で温泉を発見した者である。(24)
今日の聖書の箇所には命と死とが隣り合わせのように語られています。ヤコ エサウの子どもたちの中からは多くの族長たちが出ました。父イサクの前で泣いて祝福を求めたエサウでした。確かにアブラハム、イサクと受け継がれてきた約束を受け継ぐことはできませんでしたが、その子たちはそれぞれ一族をなしていき、多くの所有にも恵まれて行きます。後に、ヤコブとその子たちはききんの激しいときに、エジプトに移住し、そこで難を避けると共に、後にはエジプトの奴隷になって行くのですが、エサウの子孫たちは数百年にわたって死海の南に住み、エドム人としてそこを治めていったのでした。
20節以降には、エサウの妻のひとりであったアホリバマの出た、ホリ人セイルとその一族について触れられています。エサウの妻となったアホリバマの父アナは、荒野で温泉を発見した人物として知られていたのでした。アホリバマとの結婚が人間的にはエサウに大きな成功をもたらしたのは事実だったのでしょう。そして、その一つ一つの事がらの背後にも歴史を支配される主の御手がありました。
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創世記 36章31〜43節 2015年4月17日 |
イスラエルの人々を治める王がまだなかった時、エドムの地を治めた王たちは次のとおりである。(31) イスラエルの中には長く王はいませんでした。イスラエルが王政に移行するのは、紀元前約一〇〇〇年、サウル、ダビデの時代を待たなければなりません。しかし、エドムの国にはイスラエルが王政に移行する前から王がいました。遊牧民である間は、まだ王はいらないかもしれませんが、民が定住し、また周辺諸国との戦いを余儀なくされていくとき、王が国をまとめ、また軍隊の将として全体のリーダーシップをとっていくのはとても自然なことだったのでしょう。
それに対して、長くイスラエルに王がなかったのは、イスラエルがまとまっていなかったからとか、イスラエル社会が未熟だったからということではなく、イスラエルにおいては、目に見えない神が王として治め、戦いを率いて行かれるという信仰が長くあったからです。ですから、後にイスラエルに王が立てられていくときには、主が国を治め、民を治められる王であるという信仰に立ち続けることができるかどうかの信仰の戦いが求められたのでした。
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