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創世記 15章1〜6節 2015年2月16日 |
主は彼を外に連れ出して言われた、「天を仰いで、星を数えることができるなら、数えてみなさい・・・あなたの子孫はあのようになるでしょう」。アブラムは主を信じた。主はこれを彼の義と認められた。(5〜6) 主はまた幻の中でアブラムに語られます。しかし、アブラムは「私にはまだ子どもがない」と不安を口にします。確かにこのままではダマスコのエリエゼルが自分の家を継ぐことになるのだろう・・・エリエゼルはアブラムの家の使用人だったとも言われます。しかし、神はあなたの身から出る者があなたの跡継ぎになるとおっしゃいます。でも自分にはまだ一人も子どもがいない・・・。しかし、主はアブラムを連れだし、天を仰がせて、星を数えてみるようにとおっしゃいます。数え切れないほどの星が輝いています。主は「あなたの子孫はあのようになる」と語られます。
アブラムは主を信じたのでした。人間的に言うなら、今まで子どもができなかったら、これから先、サライがみごもる確立は非常に低く見える。けれども、彼は神の言葉を信じ、語られた主を信じたのでした。そして、主はアブラムの信仰を義と認められたのです。
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創世記 15章7〜21節 2015年2月17日 |
その日、主はアブラムと契約を結んで言われた、「わたしはこの地をあなたの子孫に与える。エジプトの川から、かの大川ユフラテまで・・・」。(18) アブラムは主に、さらに約束の保証を求めます。そして主は、その当時のカルデヤ人たちの習慣に従って、アブラムに対して誓いをなさったのでした。この当時の習慣として何かを誓う時に、動物を二つに裂いて、その間を通るというものがありました。契約に違反するようなことがあったら、この裂かれた動物のようにされる、というような意味があったとされます。このような誓いの形式を神は必要とされません。神が約束されたらいつも確実だからです。しかし同時に、神がこのような方法をアブラムのためにとってくださったことは、アブラムにとって、非常に大きなあわれみだったと思います。アブラムは度々、この神の誓いを思い起こしたことでしょう。
主はアブラムに、彼の子孫がどのような歴史をたどっていくかを語られます。すべてがトントン拍子に思うままに進んでいくということではありません。いろいろな苦難の時代も通ることでしょう。しかし、神はアブラムとの契約を忘れられることはありませんでした。
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