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創世記 22章1〜8節 2015年3月6日 |
神は言われた、「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」。(2) 神はアブラハムを呼ばれます。そして、イサクを燔祭として献げるようにと言うのです。アブラハムの寄留していた土地の宗教の中には、長子を偶像の神にささげるという習慣もあったかもしれません。しかし、聖書の神はそのようなことを求められるのでしょうか。そもそも、神が約束の子として与えられたイサクを献げるように求めるなど、極めて不可解です。これはテストでした。神はアブラハムがどれだけイサクを愛しているかをご存じでした。けれども、どんなに貴重なものであっても、それが神よりも大事なものになってしまったら、それは私たちにとっての偶像になってしまいます。
アブラハムに迷いがなかったとは思いません。神に尋ねたいこともたくさんあったに違いありません。そしてまた、彼はこのことを誰にも相談できないのです。しかし、アブラハムは「朝早く起きて」、神が示された所に出かけていきます。アブラハムは語られた神に信頼して、黙々と従って行くのです。
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創世記 22章15〜19節 2015年3月7日 |
わたしは自分をさして誓う。あなたがこの事をし、あなたの子、あなたのひとり子をも惜しまなかったので、わたしは大いにあなたを祝福し、大いにあなたの子孫をふやして、天の星のように、浜べの砂のようにする。(16〜17) アブラハムは祭壇を築き、たきぎを並べ、イサクを縛ってたきぎの上に寝かせます。アブラハムの従順と共に、イサクも十代にはなっていただろうということを思うときに、従順に縛られてたきぎの上に寝ているイサクにも、私たちは大きな驚きを感じます。イサク自身も父に信頼し、父の従おうとしている神に信頼していたのでしょう。
そしてアブラハムが、刃物を執って、その子イサクの上にまさに振り下ろそうとしたその時、神はアブラハムを止められました。神に従うために、「自分のひとり子をも惜しまずに」ほふろうとしたアブラハムに、神は祝福の約束を更新されたのでした。主はアブラハムのために雄羊を備えておられました。
愛するひとり子イサクをささげるようにとはひどすぎるでしょうか。アブラハムは直前でイサクをほふらないですみました。しかし、神はその愛するひとり子イエスを私たちのために本当にささげてくださったのです。
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