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創世記 38章1〜11節 2015年4月21日 |
しかしユダの長子エルは主の前に悪い者であったので、主は彼を殺された。(7) ヨセフの物語が突然中断され、ヨセフの兄ユダの物語が挿入されているように見えます。しかも、このユダの物語はとても不可解で、人間的で、不道徳に感じられます。この聖書の箇所は創世記三七章以降の中心人物をヨセフではなく、ユダとして読み直して見るとよく分かって来ます。ルベンが父のそばめと関係を持ち、またシメオンとレビがシケムの人々を虐殺する中で、ヤコブの家督はユダがついでいくことになるのです。そしてユダの子孫としてダビデ王が生まれ、主イエスが生まれていきます。しかし、今日の箇所のユダは息子たちの罪と、その結果である神の裁きとしての死に心を痛め、不安に心をいっぱいにしている一人の父親です。
ユダの長男は主の前に悪い者でした。ユダもヨセフに対してとても悪い兄だったと思います。しかし、エルはより深い罪を抱えていたのでしょう。そして兄エルが神に裁かれて死んだことを知りつつも、弟のオナンも神を怒らせることをしたのでした。私たちは罪を軽く考えてはなりません。
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創世記 38章12〜23節 2015年4月22日 |
ひとりの人がタマルに告げて、「あなたのしゅうとが・・・テムナに上って来る」と言ったので、彼女は・・・エナイムの入口にすわっていた。彼女はシラが成人したのに、自分がその妻にされないのを知ったからである。(13〜14) 二人の息子たちを相次いで亡くしたユダでしたが、さらなる悲しみが彼を襲います。自らの妻の死という出来事でした。彼は、ヨセフをエジプトに売り飛ばしてしまった張本人です。そして、ヨセフを亡くしたと思い込んだヤコブが深い悲しみに沈み、嘆くのを見て、とても驚いたことでしょう。しかし、今度はユダの家に次々に死の悲しみが襲って、おそらくユダは父の悲しみを少しずつ理解できるようになったと思います。
喪が明けたとき、ユダの友人であったアドラム人ヒラがユダを連れ出します。そして、ユダはエナイムの町の入り口にいた一人の遊女と関係を持ちます。しかし、その遊女はユダの嫁のタマルでした。そして、彼女はユダによって身ごもります。タマルはユダがその町を訪ねることを聞き、まさに決死の訴えをしようとしたのでした。彼女はユダの家の嫁として、ユダの三男のシラによって、長男エルの名を残そうとしたのですが、ユダはタマルを忘れようとしていたからです。
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創世記 38章24〜30節 2015年4月23日 |
ユダはこれを見定めて言った、「彼女はわたしよりも正しい。わたしが彼女をわが子シラに与えなかったためである」。(26) タマルが身ごもったというニュースは、ユダの耳にも入ります。ユダはとんでもないことだ、と激怒し、彼女を引き出して焼いてしまえとさえ言います。しかし、彼女が、自分はこの持ち主によって身ごもったのです、と印と紐とつえとを差し出したとき、ユダの身に電撃が走ります。ユダはすべてを悟ります。お腹の子の父親は自分だったのです。ユダはそのことを知った時、言います。「彼女はわたしよりも正しい」。人を責めるのはある意味やさしいことです。しかし、自分の罪深さを知る人はさいわいです。
さて、やがて、タマルは出産を迎えます。彼女は双子を産みます。ペレヅとゼラです。このペレヅは後に、神に祝福された人の実例として長くイスラエルの歴史の中で語り継がれるようになり(ルツ四12)、またダビデ王の先祖、ひいては母タマルと共に、主イエスの系図に名前を残す人物となります(マタイ一3)。神のあわれみの不思議さを思います。
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