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創世記 46章 1〜27節 2015年5月11日 |
神は言われた、「わたしは神、あなたの父の神である。エジプトに下るのを恐れてはならない。わたしはあそこであなたを大いなる国民にする。わたしはあなたと一緒にエジプトに下り、また必ずあなたを導き上るであろう。(3〜4) 主はヤコブの父イサクの時代に、イサクに対してエジプトに下るなとおっしゃったことがありました(創世記二六2)。しかし、この時には主はヤコブに、エジプトに下るようにと語られました。ヤコブは、ヨセフが生きているのを知って一日も早くヨセフに会いたいという気持ちは強かったと思いますが、同時にこの時のヤコブは、主の御言によって進もうとする信仰者でした。もちろん、慣れ親しんだ地から、その山地からエジプトの大都会に出て行くという不安や恐れもあったことでしょう。しかし、神はわたしはあそこであなたを大いなる国民とするとヤコブに語られます。
ヤコブが今、離れようとしている地は神がアブラハム、イサク、そしてヤコブに与えると約束された地です。そして神は、ヤコブに、「また必ずあなたを導き上る」と約束されたのです。ヤコブは神の言葉に背中を押され、平安を与えられて進んだのでした。
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創世記 46章 28〜34節 2015年5月12日 |
ヨセフは車を整えて、父イスラエルを迎えるためにゴセンに上り、父に会い、そのくびを抱き、くびをかかえて久しく泣いた。(29) ヤコブはヨセフに使いを送り、ゴセンの地まで出て来てもらいます。大都会に出て行くことへの躊躇もあったでしょうし、ゴセンが家畜を飼うのにとても適した地だったというのもあるかもしれません。ヨセフはゴセンまで出て来て、そこでヤコブと感動の再会をします。ヤコブにとっても、ヨセフにとっても、本当にうれしい再会でした。ヨセフも十七でエジプトで奴隷として売られて、父ヤコブと再会する日が来るとは思わなかったでしょうし、またヤコブもヨセフが死んだと思い、そのことを受けとめるのに何年もかかっていたほどですのですので、今度はヨセフが生きていると言われても、またそこに立っているエジプトのつかさがヨセフだと言われても、にわかには信じられなかったことでしょう。
私たちは、この地上において愛する人との別れを経験することがあります。そして時に、それは突然訪れます。しかし、私たちは喜びの再会の日があることを覚えていたいと思います。
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