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創世記 9章1〜7節 2015年2月5日 |
神はノアとその子らとを祝福して彼らに言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ。・・・」(1) 箱舟を出て、神に燔祭をささげ、礼拝をしたノアと家族とを主は祝福してくださいました。「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」・・・それは主が最初に人間を創造されたときの祝福の言葉でした。そして、主は、もう一度、被造物を支配するように命じられます。またこの洪水後、神は、人が動物の肉を食べることを許されます。ただ肉を、その命である血のままで食べることは禁じられていました。後に、これは、罪の贖いのためには血が流されなければならないというメッセージにつながっていきます(レビ十七11)。
また、神は、人が他の人の命を奪うことを禁じられます。それは人が神のかたちに造られたからです。ですから、神のかたちに造られた人の血を流し、殺してはならないのです。もちろん、私たちの中にある神のかたちは罪のゆえにとてもゆがんだものになっています。神はノアとその子どもたちも全く罪のないものでないことを知っておられます。たとい弱さや欠点があったとしても、その人の中にある神のかたちを見る者でありたいと思います。
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創世記 9章8〜17節 2015年2月6日 |
わたしは雲の中に、にじを置く。これがわたしと地との間の契約のしるしとなる。(13) 神は洪水の中から救われて、新しい世界を造ろうとしているノアとその家族、そしてその子孫たちとの間に契約を結ばれます。それは二者の間の条件付の契約ではなく、神がその一方的な恵みによって与えられた約束です。それは地を滅ぼすような洪水は二度と起こらないという約束でした。神はその約束を忘れることのないように、しるしを与えられました。それが虹です。もちろん、神が忘れたり、一度語られたことを取り消されることはありません。忘れるのは私たちの方です。私たちは、このしるしを見る度に神が約束を覚えておられることを思い起こすのです。
雲が広がると、人々はまた大洪水が起こって、すべての人間が滅ぼされてしまうのではないかと不安になるかもしれません。しかし、雲の中に虹があるのを見て、私たちは神の約束を思い起こします。目に見える雲だけではありません。真っ黒い雲のように、私たちの心を覆ってしまうような困難や試練のただ中にあっても、神はそこでしか見ることのできない虹を私たちに見せてくださることでしょう。
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創世記 9章18〜28節 2015年2月7日 |
カナンの父ハムは父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。セムとヤペテとは着物を取って、肩にかけ、うしろ向きに歩み寄って、父の裸をおおい、顔をそむけて父の裸を見なかった。(22〜23) さて、ノアとその三人の子どもたち、その妻たちから人類はまた増え広がっていきます。邪悪な人々はみんな洪水の中で滅んでしまいました。ノアは、確かに正しく、かつ全き人であり、神の前に歩むことを知っていた人でした。しかし、ノアとその子どもたちが欠点も罪もない人々だったかと言うと、そうではありません。
ノアはある日、ぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸でひっくり返っていました。それを見たハムはセムとヤペテにおもしろおかしく告げたのでしょう。しかし、セムとヤペテは、後ろ向きに近づいて父の裸を着物で覆ったのでした。
人が失敗したり、罪を犯したりしたときに、そのことを笑いのネタにしたり、いろいろなことを挙げ連ねて、人をあざけるのは、とても愚かなことです。人の弱さや足りないところを覆うことのできるお互いでありたいと思います。
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