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創世記 32章1〜8節 2015年4月7日 |
さて、ヤコブが旅路に進んだとき、神の使たちが彼に会った。ヤコブは彼らを見て、「これは神の陣営です」と言って、その所の名をマハナイムと名づけた。(1〜2) さて、ラバンの手から逃れて道を進んでいたヤコブでしたが、自分の故郷に近づけば近づくほど不安になってきたことでしょう。そこには自分が若い日にだましてしまったエサウがいるのです。ヤコブはエサウがどれほど怒っていたかをよく知っていました。二十年の歳月がたっています。確かに加害者の方は忘れていくかもしれませんが、被害者の方は忘れないものです。
しかし、そんなヤコブに主が近づかれます。まさにヤコブはそこに神の陣営を見たのです。自分はひとりではない、主の陣営がそこにある。それはヤコブにとって大きな励ましだったはずです。
ヤコブは、神に背中を押されるような思いで、思い切って兄エサウのもとに使者を遣わし、挨拶を送ります。しかし、帰って来た使者は兄エサウが四百人を率いて迎えに来るというのです。ヤコブは大きな恐れを感じるのでした。神はそんなヤコブをねんごろにお取り扱いくださることになります。
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創世記 32章9〜21節 2015年4月8日 |
あなたがしもべに施されたすべての恵みとまことをわたしは受けるに足りない者です。・・・どうぞ、兄エサウの手からわたしをお救いください。わたしは彼がきて、わたしを撃ち、母や子供たちにまで及ぶのを恐れます。(10〜11) 一緒にいる民や家畜を二つに分け、何かがあっても半分は逃げることができるようにと策を講じたヤコブでしたが、その恐れ、苦しみ、不安は尋常なものではありませんでした。ヤコブは、祖父アブラハム、父イサクの神に対して祈ります。彼は自分に語られた神の真実に必死の思いですがるのです。
ヤコブは自分が神からいただいた多くの恵みに本来値しないものであることも素直に認めます。彼が父のもとを離れてヨルダンを渡ったときには、杖一本の他何も持っていませんでした。しかし、主はヤコブを豊かに祝してくださいました。
ヤコブは神の前に自分の恐れを素直に告げ、神の救いを求めます。しかし、この時にはまだ、主は黙しておられます。不安の中にあるヤコブはまた次の策を講じます。今度は贈り物の波状攻撃です。そのことによって、エサウの気持ちをなだめようと考えたのです。しかし、神は違ったご計画を持っておられたのでした。
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創世記 32章22〜32節 2015年4月9日 |
ヤコブは答えた、「わたしを祝福してくださらないなら、あなたを去らせません」。(26)
贈り物を先に送り出したヤコブは、夜の内に、妻たちと、子どもたち、そして自分の持ち物を出立させ、ヤボクの渡しを渡らせます。ヤコブはそこに一人残ったのでした。ところがそこにひとりの人が現れて、ヤコブと夜通し組み打ちをします。この「ひとりの人」は神から遣わされた御使いだっただろうとされています。そして、ヤコブはまさに組み打ちをするように、神の前にとどまって祈り込んだのです。その組み打ちをする間に、ヤコブのもものつがいがはずされてしまいます。もうヤコブは踏ん張ることも、走って逃げることもできません。ある意味、ヤコブの人間的な力や方策が全く打ち砕かれてしまった瞬間とも言えるでしょう。
しかし、ヤコブはその人を捕まえて離しません。「わたしを祝福してくださらないなら、あなたを去らせません。その人は、ヤコブに「イスラエル」という新しい名を与え、彼を祝福したのでした。ヤコブはその時の経験を、顔と顔を合わせて神を見る経験だったと言います。そしてヤコブは立ち上がって進んで行くことができたのでした。
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