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創世記 50章 1〜14節     2015年5月21日

エジプトびとは七十日の間、彼のために泣いた。(3)

  ヤコブは神の約束を受け継いでいましたが、地上を歩んでいた間は、一介の遊牧民に過ぎませんでした。土地もなく、家もなく、家畜を引き連れて寄留者として生きていました。しかし、そのヤコブの葬儀はエジプトで実に壮大なものとして執り行われます。ヤコブはエジプトの習慣に基づいて、丁寧にミイラ化され、エジプトは七十日にわたって喪に服し、悲しみの時を持ったのです。
 そしてヨセフは、パロの許しを得て、父ヤコブと約束したように、その遺体をマクペラの畑の洞穴まで運びます。ヨセフやその兄弟たち、エジプトの高官たち、また戦車や騎兵たちも同行しましたから、大変な行列になりました。ヨセフに同行したエジプト人たちにとってはとても奇異な葬りに思えたかもしれません。ヨセフほどの身分の人物が愛する父親を葬るとなれば、もっと豪華な陵墓を用意することができただろうと思います。しかし、はるばる旅をして、ヤコブを葬ったのは、何の変哲もない畑の中の洞穴でした。ヨセフがそこを訪ねたのも一体何年ぶりだっただろうかと思います。しかし、ここを訪ねたことはその後のヨセフの信仰にとっても大きな影響を及ぼすことになります。

創世記 50章 15〜21節    2015年5月22日

あなたがたはわたしに対して悪をたくらんだが、神はそれを良きに変らせて、今日のように多くの民の命を救おうと計らわれました。(20)

 ヨセフの兄弟たちは、父ヤコブが死んだとき、新たな不安と恐怖におびえることになります。いよいよヨセフは自分たちに復讐するのではないかという恐れです。すでにヨセフは、兄たちに自分のことを明らかにしたときに、兄たちがかつて自分を売ったということについて、ゆるしを告げています。しかし、兄たちはそのヨセフの言葉が信じられないのです。確かに、兄たちはとんでもないことをヨセフにしました。ヨセフ自身も、それは間違いなく「悪」だったと語ります。私たちの周りにも、私たちに悪をたくらむ人がいるかもしれません。しかしヨセフは言います。「神はそれを良きに変わらせて」くださった。私たちの信じる神はそのようなお方です。どんな悪がそこにあっても、私たちのために、それを良きに変わらせ、またその悪を逆転させて、神の大きなご目的のために用いることができる・・・私たちはそのようなダイナミックな力ある神に仕えているのです。

創世記 50章 22〜26節    2015年5月23日

ヨセフは兄弟たちに言った、「わたしはやがて死にます。神は必ずあなたがたを顧みて、この国から連れ出し、アブラハム、イサク、ヤコブに誓われた地に導き上られるでしょう」。(24)

 ヨセフは110歳で死のうとしていました。アブラハムが175歳、イサクが180歳、ヤコブが147歳まで生きたことを思うと、ヨセフの110歳というのは長くはなかったかもしれません。兄弟たちに遺言を遺しているところから見ても、ヨセフは他の兄弟よりも短命だったことが想像できます。若い頃、過酷な条件の下に置かれていたことが、ヨセフの体を蝕んでいたのかもしれません。
 ヨセフは死んで、葬られようとしていました。しかし、ヨセフはエジプトに寄留者として生きていた彼らが、やがて神がその先祖たちに約束された地に導かれることを知っていました。エジプトは確かに豊かな地です。しかし、ここは神の祝福の下に置かれた自分たちの安住の地ではない。神があの先祖たちに約束された地に自分たちを導いてくださる日が必ず来る。その時に間違いなく、自分の遺体を先祖たちの地に運んで欲しい。ある意味、ヨセフの遺体はイスラエルの民にとって、神の約束を思い起こさせるしるしとなったことでしょう。



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