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創世記 35章1〜15節 2015年4月13日 |
ときに神はヤコブに言われた、「あなたは立ってベテルに上り、そこに住んで、あなたがさきに兄エサウの顔を避けてのがれる時、あなたに現れた神に祭壇を造りなさい」。(1) さて、ヤコブは、兄エサウに対する恐れだけではなく、息子たちが怒りにまかせて行ったことのゆえに、周辺の人々が復讐にやって来るのではないかとおののいていました。しかし、そんなヤコブに対して、神は「ベテルに行け」と語られます。それはヤコブが兄エサウを避けて伯父ラバンの家に逃げていったときに、神が初めてヤコブに語られた場所でした。ヤコブはまだしなければならない第一のことをしていなかったのです。
ヤコブは、一緒にいる妻たちや、すべての者たちに、異なる神々を捨て、身を清めるようにと、命じます。ヤコブたちは神とお会いする備えをしなければならなかったのです。ベテルに来たヤコブに神は再び声をかけられ、彼を祝福してくださいました。彼の新しい名をもう一度確認し、またアブラハムにご自身を顕されたように、ヤコブに対しても全能の神としてご自身を示し、ヤコブの子孫から、民が、国々が、王たちが出ること、またアブラハムに約束された地を嗣ぐようになることを約束されたのでした。
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創世記 35章16〜29節 2015年4月14日 |
イサクの年は百八十歳であった。イサクは年老い、日満ちて息絶え、死んで、その民に加えられた。その子エサウとヤコブとは、これを葬った。 (28〜29) 今日の聖書の箇所には命と死とが隣り合わせのように語られています。ヤコブの最愛の妻ラケルが第二子を産みます。末息子のベニヤミンです。しかし、ラケルはベニヤミンを産むと同時に、死んでしまったのでした。ベニヤミンの誕生はヤコブにとって、また同じ母親から生まれたヨセフにとって、大きな悲しみの時ともなってしまいました。
また、この章の最後では、ヤコブとエサウとの父イサクが死んで葬られたことが書かれています。生があり、死があります。その生にも死にも、いろいろな物語があります。その物語は、必ずしも、サクセスストーリーばかりではありません。しかしそのような中で、信仰の歩みが、そして主の祝福の約束がバトンタッチされ、次から次へと手渡されていくのです。
ここには長男ルベンが父のそばめビルハと関係をもったことが書かれています。ルベンはこのことによって、長子の特権を失ってしまいます。
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