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出エジプト記 35章1〜19節 2015年8月24日 |
これは主が命じられたことである。あなたがたの持ち物のうちから、主にささげる物を取りなさい。すべて、心から喜んでする者は、主にささげる物を持ってきなさい。(4〜5) 幕屋と祭具、祭司の衣装などについての詳細な指示が与えられたのですが、その具体的な建築・作成にあたってはその材料をそろえる必要がありました。荒野を旅するイスラエルの民はどこでそれらを得ることができるでしょうか。実は、エジプトを出る時に、彼らはエジプト人たちから多くの贈り物を与えられ、貴重な財宝や金銀などを持ってきていました。モーセは幕屋を建てるためにささげものを求めます。
ささげものだけではありません。奉仕をする人々も必要でした。木工事ができる人、金物細工ができる人々、織物や縫製、刺繍などができる人々・・・それぞれが与えられた賜物を主にささげました。
ここで大事なのは「心から喜んで」ということでした。単にものを持っているとか、才能があるとかではなく、心をごらんになっている主に対して、まさに、ものや力だけではなく、心をささげることが求められていたのです。
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出エジプト記 35章20〜35節 2015年8月25日 |
すべて心に感じた者、すべて心から喜んでする者は、会見の幕屋の作業と、そのもろもろの奉仕と、聖なる服とのために、主にささげる物を携えてきた。(21) モーセの呼びかけを聞いたイスラエルの民はそれぞれ自分の天幕に散っていきます。そして「すべて心に感じた者、すべて心から喜んでする者は」自分の天幕から主へのささげものを持ってきます。それは彼らがエジプト人たちから受け取った数少ない宝だったかもしれません。でもその宝を喜んで主にささげたのです。また主に喜んで奉仕をする者たちもいました。それぞれの天幕から宝を持って続々と民が戻ってくる様子はとても楽しく美しい光景だったに違いありません。
またベザレルとアヒサマクは、神の霊に満たされて様々な工作を行いました。単に自分たちが主に名指しで召され、賜物を与えられて、そのことをしたというだけではありません。神様は彼らの心に、人を教えうる力を与えられたのでした。そして彼らは人々を教え、人々と共に主のわざに携わったのでしょう。そのようにして感謝と喜びの中に、幕屋は立ち上がっていったのです。
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