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出エジプト記 8章1〜15節 2015年6月9日 |
ところがパロは息つくひまのできたのを見て、主が言われたように、その心をかたくなにして彼らの言うことを聞かなかった。(15) 第二の災いはナイル川からかえるが上ってきて、エジプトの地を満たすというものでした。かえるは家の中にも入り込み、寝台や台所もかえるだらけになります。パロのお抱えの魔術師たちも同じことをやってみせるのですが、魔術師たちにはかえるを川に戻すことはできませんでした。
パロは困り果てて、モーセとアロンを呼び出します。そして、イスラエルの民が神を礼拝するために出かけることを許すので、このかえるをなんとかしてほしい、と懇願するのです。モーセが主に祈ると、神はかえるの災いを止められます。そして、かえるは死に絶え、ナイル川以外の場所からは姿を消します。けれども、パロは息つく暇ができると、前言を翻し、イスラエルを解放することはありませんでした。しかし、それは神がすでにすべて織り込み済みでした。神はさらに大きな災いをエジプトに下そうとしておられたのです。
私たちも困ったときには神に近づき、悔い改めて、あわれみを求めますが、問題がなくなるとすぐにまた自分勝手な生き方をしがちです。心したいと思います。
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出エジプト記 8章16〜19節 2015年6月10日 |
魔術師らはパロに言った、「これは神の指です」。しかし主の言われたように、パロの心はかたくなになって、彼らのいうことを聞かなかった。(19) 第三の災いがエジプトを襲います。それは「ぶよ」でした。主がモーセに言われたように、アロンが杖で地のちりを打つと、ぶよとなって人や家畜についたのでした。パロのお抱えの魔術師たちも秘術を用いて、同じことをしようとしました。しかし、人のすることにはタネがあるものです。この魔術師たちがどのようにそのことをしようとしていたのかは分かりません。しかし、魔術師たちは自分たちのしてきたことと、モーセがしていることとの間に決定的な違いがあることを知っていました。もちろん、パロに命じられれば何とかそれに答えようとするでしょう。けれども、彼らはついに白旗を上げます。自分たちにはできない・・・まさに命のないところから命を生み出すことなどできないのです。魔術師たちは悲鳴を上げます。「これは神の指です」。モーセとアロンではない、彼らと共におられる神の働きを魔術師たちであっても認めざるを得なかったのです。神の指は今、私たちの生涯の中にも働いています。
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出エジプト記 8章20〜32節 2015年6月11日 |
その日わたしは、わたしの民の住むゴセンの地を区別して、そこにあぶの群れを入れないであろう。国の中でわたしが主であることをあなたが知るためである。わたしはわたしの民とあなたの民の間に区別をおく。(22〜23) 第四の災いは「あぶ」でした。パロとその家来たちと、エジプトの民の家々にあぶの群れが満ち、地はそのあぶのゆえに大きな被害を受けました。しかし、不思議なことが起きました。イスラエルの民が住んでいたゴセンの地にはあぶの群れが入って行かなかったのです。神はイスラエルの民を「わたしの民」と呼んでエジプト人と区別されました。パロは自分の民である、エジプト人たちを守ることができませんでした。私たちも、主の民です。神がその御子の血潮をもって贖い出し、ご自分の民としてくださったのです。主はご自身の民を特別扱いして、災いから守り、また日々恵みをもって守り、養って下さいます。
パロはついにモーセの願いを受け入れます。ただ最初は「国内で」と言い、それではだめだと言われてやっと三日の道のりほど荒野に出ていくことを許したのでした。しかし、彼は災いが過ぎ去ると、またもや心をかたくなにしたのでした。
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