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出エジプト記 31章1〜11節 2015年8月13日 |
見よ、わたしはユダの部族に属するホルの子なるウリの子ベザレルを名ざして召し、これに神の霊を満たして、知恵と悟りと知識と諸種の工作に長ぜしめ・・・(2〜3) 幕屋に関して様々な指示が与えられましたが、そこで示されたものを造っていくためには、特別な賜物が必要でした。主はユダ族のホルの子なるウリの子ベザレルと、ダン部族のアヒサマクの子アホリアブをそのために召し出されました。主はこの二人を山の上で、モーセに名前をあげて指名されたのでした。
神はベザレルに神の霊をみたし、知恵と知識を与え、また様々な工作に長けた者とされました。そして同じようにその心に知恵を与えられたアホリアブをそばに置かれたのでした。この二人は共に協力して、この大事な働きを進めていくことになります。
ここで特に目を止めたいことは、彼らが単に技術的にすぐれていたというだけではないということです。教会の奉仕などでもそうです。単に才能がある、何かができるというだけではなく、主に召され、主の霊に満たされて、主に従い、謙虚に仕えることができるかどうかが問われています。
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出エジプト記 31章12〜18節 2015年8月14日 |
あなたがたは必ずわたしの安息日を守らなければならない。これはわたしとあなたがたとの間の、代々にわたるしるしであって、わたしがあなたがたを聖別する主であることを、知らせるためのものである。(13) モーセを山の上に召し、イスラエルの民との間に契約を結び、十戒を与え、幕屋の建設に関する指示と、祭司の任職に関する手順を示した後、主は最後にもう一度安息日について語られます。安息日は聖なる日であり、その日は主のために用いられ、一般の仕事をすることは禁じられていました。
その安息日の根拠になったのは、主が六日の間に世界を造られ、七日目に休み、いこわれたということでした。イスラエルの民は、主が創造された安息を共に楽しむように招かれていたのです。
またその安息日には「しるし」としての意味もありました。安息日を守ることによって、イスラエルの民は自分たちが神のものであり、神に聖別された民であることを確認したのです。
私たちは今、この安息を、主イエスがあがないを全うし、死を打ち破ってよみがえられた週の初めの日に守ります。この日は、神と私たちの間のしるしであり、とても大切な日なのです。
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