バックナンバー
|
出エジプト記 9章1〜12節 2015年6月12日 |
しかし、主はパロの心をかたくなにされたので、彼は主がモーセに語られたように、彼らの言うことを聞かなかった。(12) 第五の災いは「家畜の疫病」でした。エジプト中の家畜が激しい疫病にかかり、死んでしまいました。しかしイスラエルの人々の家畜は一頭も死んでいませんでした。パロはそのことを確認します。しかし、彼は心をかたくなにします。まだ自分の身に危害がないうちはがんこになれたのでしょうか。
第六の災いは「うみの出るはれもの」でした。今度は、エジプト中の人や家畜にうみの出るはれものが生じます。魔術師たち自身も自分の身にはれものができてしまって、パロのもとに立つことはできません。多くの民が苦しんでいました。しかし、パロはなおも心をかたくなにします。一人の人ががんこになることが多くの民を苦しめていました。
パロはこれだけいろいろなことが起き、そして明らかにその災いがイスラエルの民との関係で起きていることを知りながらも心をかたくなにします。自分の身分や立場・メンツなどいろいろなことが神の言葉の前に素直になることを妨げていたのでしょう。
|
出エジプト記 9章13〜35節 2015年6月13日 |
しかし、わたしがあなたをながらえさせたのは、あなたにわたしの力を見させるため、そして、わたしの名が全地に宣べ伝えられるためにほかならない。(16) パロは数々の災いを与えられても、なおも悔い改めて、イスラエルの民を解放しようとはしませんでした。本来でしたら、それほどに神の言葉を拒み続けるパロは一気に滅ぼされても仕方がなかったはずです。しかし、神はそれをなさいませんでした。それはある意味、パロに対して忍耐強く悔い改めのチャンスを与え続けておられたということだったでしょう。けれども、パロはそれを拒み続ける。そして、そのことを通して、神の力があらわされ、イスラエルの民も、エジプト人たちも神の力を知り、そして主の名が世界に拡がっていったのでした。
第七の災いは「雹」でした。パロの家来たちの中にも、主の言葉を恐れる者たちがいました。そして、彼等はひとや家畜の被害を避けることができました。主の言葉を聞いても意にも止めない者たちは大きな被害を受けました。パロはその災いの大きさを見て、「わたしは罪を犯した」と言うのですが、災いが止むと、また心をかたくなにし、民を去らせようとはしませんでした。
|
|
|