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出エジプト記 12章1〜13節 2015年6月17日 |
この月をあなたがたの初めの月とし、これを年の正月としなさい。(2) イスラエルのカレンダーは九月から始まります。麦やぶどうが主たる農産物であるイスラエルにおいては、一年の収穫が夏に終わり、秋には新しい収穫への備えが始まるからです。しかし、イスラエルにはそのような生活上の新年に加えて、彼らの歴史上・宗教上の正月が他にありました。それが今の暦で言うと三〜四月頃で、これはイスラエルがエジプトから救い出されたことを記念するものでした。まさに、この出エジプトの出来事こそがイスラエルの歴史の原点だったのです。そして、この正月の十四日の夕暮れに小羊がほふられ、その血が家の入り口の二本の柱とかもいに塗られたのでした。この過越の儀式は毎年行うことが定められていました。その日は災いがイスラエルの家を過ぎ越した日であり、イスラエルの民がエジプトで奴隷であったところから導き出された日だったからです。
あなたにもキリスト者としての原点があるでしょうか。主イエスを信じたということ、それこそが信仰者としてのあなたの歩みの原点なのです。
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出エジプト記 12章14〜28節 2015年6月18日 |
あなたがたは急いで家族ごとに一つの小羊を取り、その過越の獣をほふらなければならない。また一束のヒソプを取って鉢の血に浸し、鉢の血を、かもいと入口の二つの柱につけなければならない。(21〜22) 最初、イスラエルの民がエジプトから解放された時、エジプト中のういごが死ぬという災いの中、小羊の血を塗った家の前は災いが過ぎ越しました。実際には、イスラエルの民以外でも、神の言葉を聞いて、イスラエルの民と同じようにして災いを免れ、イスラエルと一緒にエジプトを出た外国人たちがいたようです。いずれにしても死と命との分かれ目になったのは、主が語られた通りに、小羊の血を塗ったかどうかということでした。そして、この過越の小羊は後に来られる主イエスによるあがないを指し示すものでもありました。主イエスの血潮にすがる人は命を得ることができるのです。
イスラエルの人々はこれから後、代々、この過越の儀式を守り、祭りを守ることを求められていました。神がしてくださった救いの御業を忘れることのないためであり、またその恵みを次の世代にもきちんと手渡して行くためでした。
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出エジプト記 12章29〜51節 2015年6月19日 |
これは彼らをエジプトの国から導き出すために主が寝ずの番をされた夜であった。(42) 過越の祭の時には、小羊の血を入り口の柱とかもいに塗り、その小羊の肉を食べると共に、種入れぬパン(イースト菌の入っていないパン)を食べるということが定められていました。それは、過越の夜、急かされるようにしてエジプトを出るという状況の中でパンを焼いている時間はなく、こね鉢のまま練り粉を持って出なければならないという中で、腐敗を防ぐためにも、パン種を入れることができなかったという神のご配慮があったと言われます。ただ同時に、このパン種は汚れをも意味していました。私たちは罪や汚れと一線を引かなければならないのです。
さて、十番目の災いがエジプトを襲い、エジプト中のういごが死んだとき、イスラエルの民は追い立てられるようにエジプトを出て行きました。そこには大きな喜びがありました。そして、その夜、主はイスラエルの民を守られたのでした。もちろん、主は疲れたり、眠ったりするお方ではありません。しかし、この時、イスラエルの民は特別な主の御業の中に置かれていることを実感したのでしょう。
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