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出エジプト記 25章1〜9節 2015年7月29日 |
イスラエルの人々に告げて、わたしのためにささげ物を携えてこさせなさい。すべて、心から喜んでする者から、わたしにささげる物を受け取りなさい。(2) ここからしばらくは幕屋の建設についての細かい指示が与えられています。幕屋とはイスラエルが荒野を旅する間、彼らの宿営の真ん中に置かれた、移動式の神を礼拝する場所であり、イスラエルにおいて神の臨在を表すものでした。幕屋の中心にあったのは聖所であり、それによって、民は、神が彼らのうちに住んでおられることを知りました。
幕屋は人々のささげものを材料にして作られました。これらはもともと自分たちが持っていたものもあったかもしれませんが、多くはイスラエルの民がエジプトを出るとき、エジプトの人々から譲り受けたものであったはずです。せっかく手にした宝物・・・。しかし、彼らは喜んでそれを主の幕屋のためにささげました。そして、主もそれを喜び受け入れて、用いてくださったのです。私たちのささげものも、もともとは主のものです。そして、主は私たちにささげる喜びと恵みを与えてくださるのです。
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出エジプト記 25章10〜22節 2015年7月30日 |
その所でわたしはあなたに会い、贖罪所の上から、あかしの箱の上にある二つのケルビムの間から、イスラエルの人々のために、わたしが命じようとするもろもろの事を、あなたに語るであろう。(22) 聖所の中心にあったのは特別な箱でした。それは幅と高さが約七十センチ、長さが約百十センチでした。箱の四隅には金の輪が取り付けられ、そこに二本の棒を通して、かついで運ぶことになっていました。この箱の中には、神がイスラエルの民に与えられたあかしの板が入れられ、その板には、神がイスラエルの民に与えられた律法が刻まれていました。その箱自体はアカシヤ材で作られて、純金で内外が覆われていたのですが、そのふたは純金で造られていました。その両側には二つの純金打ち物造りのケルビムが置かれていました。ケルビムには翼があり、そのふたを覆うように向き合って置かれていました。
このふたのことを「贖罪所」と言いました。そこに動物の血が注がれ、罪のあがないがなされたからです。そして、神は、その贖罪所から語られるとされていました。そこには祭司が一年に一度だけ近づきました。しかし、今、キリストのあがないのゆえにいつも遠慮なくその「恵みの座」に近づくことができるのです。
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出エジプト記 25章23〜40節 2015年7月31日 |
そして机の上には供えのパンを置いて、常にわたしの前にあるようにしなければならない。(30) 幕屋には机が置かれました。これも、アカシヤ材で造られ、純金で覆われていました。そしてその机の上にでは乳香がささげられ、油や葡萄酒などの液体のささげものをささげるための瓶や鉢が置かれました。またそこには、いつも供えのパンが置かれました。
もちろん、天地を造られた神はパンを供えないとお腹を減らしてしまうような方ではありません。しかし、毎日新しくパンを焼いてささげることによって、イスラエルの民は、自分たちがいつも主の養いの中にあって支えられていることを覚え、神に感謝したのです。その感謝なしに私たちは神を礼拝することはできません。
私たちの献身もただ一度のことではありません。私たちは日々新しく、自らを主の御前にささげます。それは日々新しく更新されて、常に主の御前にあるべきものなのです。祈りもそうです。私たちは日々、主の御前に、主の喜ばれるかぐわしい香りとしての祈りをささげ続けて行くのです。
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