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出エジプト記 33章1〜16節   2015年8月18日

主は言われた「わたし自身が一緒に行くであろう。そしてあなたに安息を与えるであろう」。(14)

 主はモーセに、「わたしはひとりの使をつかわしてあなたに先立たせるが、わたしはあなたがたのうちにあっては一緒にはのぼらない」と語られます。それは悲しいニュースでした。
 モーセは、主に近づいて、すがりつくようにして神に祈ります。そして神はついにモーセに答えて、「わたし自身が一緒に行く」と約束してくださったのでした。
 確かにそのままでも、主が語られたように、約束の地には入ることができたのでしょう。けれども、モーセもイスラエルの民も、それでは何の意味もない・・・と分かっていました。イスラエルの民が他の民とどこによって区別されるかというと、まさに、主が共にいてくださるという、そこにあったからです。
 主は、私たちにも繰り返し、「共にいる」と語ってくださいます。神様は私たちをあらゆる面で祝福してくださいます。しかし、そしてどんな目に見える祝福をいただく以上に、主が共にいて下さるということは大きな意味をもっているのです。

出エジプト記 33章17〜23節   2015年8月19日

モーセは言った、「どうぞ、あなたの栄光をわたしにお示しください」。(18)

 主自らが共に行ってくださるというお約束をいただいたモーセは、それでやめることなく、さらに神の恵みを求めます。この主の恵みを求める貪欲さに、私たちは学びたいと思います。神の恵みに感謝するのは大切なことですが、もうこれ以上は恵みはいりません、と遠慮する必要はありません。主の恵みは際限がなく、求める者はさらに大きく豊かな祝福にあずかることができるのです。モーセがさらに求めたのは、主の栄光を見ることであり、主の御顔を拝することでした。しかし、主はモーセが直接神の御顔を見ることは許されませんでした。主はあまりにも聖いお方で、汚れを負った私たちが主を直接見たら生きていることはできないでしょう。
 しかし、主はモーセを岩の上に立たせ、岩の裂け目にモーセを隠し、モーセをその御手でおおって、主の栄光に触れさせてくださいました。そしてモーセは主の後ろ姿を仰ぐことになります。けれども、私たちはやがて主の再臨の時には主の御顔を直接見ることを許されるのです。



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