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出エジプト記 32章1〜14節   2015年8月15日

どうかあなたの激しい怒りをやめ・・・あなたのしもべアブラハム、イサク、イスラエルに、あなたが御自身をさして誓い・・・仰せられたことを覚えてください」。それで、主はその民に下すと言われた災について思い直された。(12〜14)

 モーセは四十日四十夜、山の上で神の前に立っていました。しかし、その間に山のふもとではとんでもないことが起こっていました。イスラエルの民は、「主の言われたことをみな行います」とお答えしたばかりだったのに、もう主に背き、偶像を造って、これを拝み始めたのです。
 神はイスラエルの民に怒りを発し、イスラエルの民を滅ぼし、モーセの子孫を大いなる国民としようと語られます。モーセ自身にとっては悪い話ではなかったかも知れません。しかし、モーセは神の前に立って、イスラエルのためにとりなしの祈りをします。彼は神がかつて語られた神の言葉を持ち出して、神にゆるしを求めるのでした。そして、神はその民に下すと言われた災いを思い返されました。今、私たちも主に選ばれ、御前に立っている者として、人々のためにとりなす使命が与えられています。

出エジプト記 32章15〜29節   2015年8月16日

あなたがたは、おのおのその子、その兄弟に逆らって、きょう、主に身をささげた。それで主は、きょう、あなたがたに祝福を与えられるであろう。(29)

 山から急いで下りたモーセは金の子牛と、その周りで踊る人々の姿を見て、神にいただいた律法の板を打ち砕き、また金の子牛を粉々にします。モーセはアロンをとがめるのですが、アロンはまるで金の子牛が勝手に出て来たかのような言い方をします。民はほしいままにし、またアロンも、民がほしいままにするのを止めなかったのでした。イスラエルは敵の前で笑いものになっていました。
 モーセは「すべて主につく者はわたしのもとにきなさい」と呼びかけるのですが、それに答え、主に身をささげて、モーセのもとに来たのは、ただモーセと同じ部族のレビ族の人々だけでした。それほど、イスラエルの人たちの心は神から離れてしまっていました。モーセはレビ人に偶像に従う人々を討つように命じます。その日だけで三千人が倒れたのでした。この事がきっかけになってレビ族は後に、主の御用をになう部族になっていきます。

出エジプト記 32章30〜35節   2015年8月17日

今もしあなたが、彼らの罪をゆるされますならば――。しかし、もしかなわなければ、どうぞあなたが書きしるされたふみから、わたしの名を消し去ってください。(31〜32)

 モーセは再び主の御前に帰っていきます。そして、モーセは民の罪を自分の罪のように告白して、神のゆるしを求めます。そして、モーセは民の罪を自ら負うかのように神の前に近づきます。「もしゆるしがかなわないなら、どうぞ、あなたが書きしるされたふみから、わたしの名を消し去ってください」。ここでモーセが祈りの中で言った「ふみ」とは、神の御国に入ることのできる者の名前が書かれた命の書のことです。自分の名前がそこから消されてしまってもかまわないから、民をゆるして下さいと、まさに体を張って、命がけのとりなしをするのです。
 モーセのこの祈りは後に、主イエスに、そしてパウロにと受け継がれていきます。私たちも本来なら滅びるべき者でした。しかし、そのような私たちを主はあわれんで、救ってくださいました。まさに主イエスは単に祈るだけでなく、私たちの身代わりに、罪と、罪の結果とを十字架の上で負って下さったのです。



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