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出エジプト記 2章1〜10節 2015年5月26日 |
パロの娘は彼女に言った、「この子を連れて行って、わたしに代り、乳を飲ませてください。わたしはその報酬をさしあげます」。女はその子を引き取って、これに乳を与えた。(9) モーセが生まれた時、その両親はその子を三か月にわたって、隠しました。しかし、いよいよ隠しきれなくなったとき、両親は、水がもれないようにアスファルトと樹脂を塗った葦のかごを作り、その子をそこに入れて、ナイル川の岸の葦の中に置いたのでした。
ちょうどそこにエジプトの王女がやって来て、その赤ちゃんを見つけます。そして、その一部始終を見守っていた姉ミリアムの機転もあって、その赤ちゃんは、両親のもとにもう一度戻されて、乳離れするまで育てられることになります。そして、その費用は全部、エジプトの王室が負担したのでした。
後に、イスラエルの民のリーダーとなったモーセはこのようにして、母親の愛情の中で乳児期を過ごした後、エジプト王家の中に置かれて、その当時の最高の学問を身につけていくことになります。まだこの時にはイスラエルの民はまだ誰もしらなかったことでしょう。しかし、すでに神は彼らの叫びを聞き、救いのご計画を始めておられたのです。
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出エジプト記 2章11〜15節 2015年5月27日 |
彼は言った、「だれがあなたを立てて、われわれのつかさ、また裁判人としたのですか。エジプトびとを殺したように、あなたはわたしを殺そうと思うのですか」。モーセは恐れた。そしてあの事がきっと知れたのだと思った。(14) モーセは、エジプトでエジプトの王女の子として、王宮で育てられました。そこでエジプトの最高の学問を身につけ、また最高の待遇を与えられていました。しかし、彼の中には自分はヘブル人だという意識がずっとあったようです。それは、乳離れするまでの母のひざの上での教育があったでしょうし、また、王宮に住みながらも、子ども同士の間ではいろいろな確執やいやがらせもあったのかもしれません。いずれにしても、彼は成長して、ある日(他の聖書の箇所によれば四十歳の時)、ひとりのエジプト人がヘブル人を打つのを見て、左右を見回し、誰も見ていないのを確認してから、そのエジプト人を殺してしまったのでした。
誰にもばれないはずでしたし、またイスラエルの人々は自分が彼らを助けようとしているということを感謝をもって受けとめてくれると信じていました。しかし、事実はそうではありませんでした。彼はイスラエル人たちからは信頼されていませんでしたし、受け入れられていなかったのです。
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出エジプト記 2章15〜25節 2015年5月28日 |
神は彼らのうめきを聞き、神はアブラハム、イサク、ヤコブとの契約を覚え、神はイスラエルの人々を顧み、神は彼らをしろしめされた。(24〜25) 恐れを覚えたモーセはパロの前を逃れてミデヤンの地に逃れます。そして、ミデヤンの祭司リウエルと出会い、その娘のチッポラと結婚し、子をもうけます。エジプトで最高の学問を修めたモーセが、荒野で羊を飼いつつ四十年を過ごしたのでした。モーセは自分が何者かというアイデンティティーの確立をしていくために非常に大きな問題を抱えていました。モーセはエジプト人にもなれず、かといってイスラエル人たちからも受け入れられず、ミデアンの地でも寄留者だったのです。モーセの自己の確立のためにはどうしても彼はひとり神の前に立つという経験が必要でした。
そのような中にあって、イスラエルの人々の置かれている状況はまずます厳しいものとなっていました。彼らは神に叫び、そして、神は彼らの叫びを聞いておられました。そして、神はイスラエルの人々を顧み、救おうと準備をしておられたのです。
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