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ヨブ記 42章1〜6節 2017年5月4日 |
わたしはあなたの事を耳で聞いていましたが、
今はわたしの目であなたを拝見いたします。(5) ヨブは、主の語りかけに対して答えます。ヨブには分かったのです。それは苦難の意味そのものではありません。そうではなく、ヨブが分かったのは、神にはすべてのことがおできになること、そして、すべてのことをすることのできるお方が私たちに対してご計画・おぼしめしを持っておられるということ、自分の知識や理解力はあまりにも小さくて、神のはかりごとを理解することはできないこと・・・。ヨブは神はこのようにすべきだとか、このようにすべきではない、とか息巻くようにして語っていました。しかし、ヨブはまさに全知全能の神の前にひれ伏すのです。
ヨブは今までも、神の御前に正しい歩みをしていました。しかし、ある意味、今までの神の知り方は耳で聞いていたに等しい、しかし、「今はわたしの目であなたを拝見いたします」。それは実際に神を目で見たということではなく、まさにヨブと神との関係が新しいものとされたことを意味していたのでした。
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ヨブ記 42章7〜17節 2017年5月5日 |
ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブの繁栄をもとにかえし、そして主はヨブのすべての財産を二倍に増された。(10) 神はヨブに語られた後に、テマン人エリパズに語られます。主はヨブの三人の友人たちに対して怒られたのでした。三人の友人たちも神のために一生懸命語っているという自負があったかもしれません。しかし、ヨブを断罪し、ヨブを自白(?)に追い込むことに夢中になって、まるで自分が神であるかのように語っていました。しかし、彼らはヨブについても、また神についても正しいことを言わなかったのです。主はエリパズに、ヨブに祈ってもらうようにと語られます。三人はヨブのところに行って祈ってくれるようにと頼みます。ヨブは彼らのために祈ります。まさにここに和解が成立したのです。
ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はその繁栄をもとにかえしてくださいます。もとにかえすどころではなく二倍にしてくださいました。ヨブは深い悲しみと痛みを経験しましたが、神をより深く知り、友のために祈った後の彼の後半生はさらに豊かな祝福に満たされたものになりました。
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