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ヨブ記 25章1〜6節 2017年4月17日 |
それで人はどうして神の前に正しくありえようか。
女から生れた者がどうして清くありえようか。(4) ビルダデの発言も三度目になります。ただここでのビルダデの発言は短く、また新しいものはありません。エリパズ、ビルダデ、ゾパルの三人はヨブに順番に語りかけ、三巡目になっていますが、このビルダデの発言で彼らの発言は終わります。
ビルダデは神の主権と、その大能の力を語ります。このお方は高きに住むお方です。そしてこの正しく、聖なるお方の前に誰も正しくはあり得ないし、また清くもあり得ないのだというのです。だからヨブ、あなたは罪深い者であることを自覚して、悔い改めるようにと、ビルダデは語りたいのでしょう。
ただ彼の発言には二つの誤りがあります。一つは、神は私たちが神の御前に正しく生きることを願っておられ、私たちは神の助けによって正しく清い歩みができるのだということであり、またもう一つはヨブは神に愛される正しい人物だということです。おそらくヨブが裁かれ、罪の罰を受けているとしたら、ヨブの友人たちはその程度では済まなかったことでしょう。ビルダデはここでも自分を棚の上に置いて語るのです。
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