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歴代志下 32章1〜8節    2017年2月6日

心を強くし、勇みたちなさい。アッスリヤの王をも、彼と共にいるすべての群衆をも恐れてはならない。おののいてはならない。われわれと共におる者は彼らと共におる者よりも大いなる者だからである。(7)   

 ヒゼキヤが主の御前に忠実に歩もうとしたときに、主は彼とその国を祝福してくださいました。しかし、それは何も問題がなくなったとか、戦いがなくなったということではありません。北王国イスラエルを滅ぼしたアッスリヤは南王国ユダにも攻め込んできました。
 アッスリヤの王が本気で攻めて来たら誰がそれに立ち向かうことができるでしょうか。ヒゼキヤはつかさたちや勇士たちと相談して、泉や谷川をふさぎます。エルサレムにはヒゼキヤが作った地下水路が今でも残っています。エルサレムの城壁の外にあった泉をトンエルを掘って、城内に引き入れたのです。また破れた城壁を築き直します。これらのことはヒゼキヤがアッスリヤと戦う意志があることを明確に相手に伝える行為でもありました。
 そしてヒゼキヤは広場に民を集めて戦いが近いことを語り、共にいてくださるお方がどんなに力のある方なのかを力強く語ったのでした。

歴代志下 32章9〜23節    2017年2月7日

そこでヒゼキヤ王およびアモツの子預言者イザヤは共に祈って、天に呼ばわった・・・(20) 

 アッスリヤの王セナケリブはエルサレムにその家来を遣わしてユダの人々を脅します。セナケリブのチャレンジは、あなたがたは何を頼んでいるのか、というものでした。一体誰を頼みとし、誰をあてにしているのか、と問いかけるのです。私たちの周りにいる人々もキリスト者である私たちに問いかけるでしょう。あなたは誰を頼りにしているのか。誰があなたを救ってくれるというのか。セナケリブの家来は、ヒゼキヤをそしり、またイスラエルの神、主をあざけりました。
 恐くないと言ったら嘘になるでしょう。ヒゼキヤと預言者イザヤは共に祈って、主に呼ばわります。ヒゼキヤが危機の中にあった時、イザヤが共に祈ってくれたことはどんなに大きな励ましになったことでしょうか。
 そして主はヒゼキヤに戦わずして大勝利を与えられ、セナケリブを辱め、万国の民がヒゼキヤを尊ぶようにされたのでした。主はご自身に頼ったヒゼキヤを確かに救ってくださったのです。

歴代志下 32章24〜33節    2017年2月8日

しかしバビロンの君たちが使者をつかわして、この国にあった、しるしについて尋ねさせた時には、神は彼を試みて、彼の心にあることを、ことごとく知るために彼を捨て置かれた。(31) 

 ヒゼキヤ王は病気で死にそうになったことがあります。しかし、ヒゼキヤは主の前に泣いて祈って、癒していただきました。しかし、聖書は、ヒゼキヤが癒されたときに心高ぶって国を危機に追い込んだと記しています。成功したとき、祝福をいただいたときには気をつけなければなりません。私たちは往々にして物事がうまくいっているときには神を忘れやすいからです。けれども、ヒゼキヤ王もエルサレムの住民も災いが臨む前に悔いてへりくだり、命を得たのでした。
 ヒゼキヤ王は主の祝福をいただいて栄えました。バビロンから使者がやって来ます。その時に、主はヒゼキヤ王の心の中にあることを知ろうとされたと記されています。バビロンはこの当時、アッスリヤに対抗する一大勢力になろうとしていました。イスラエルもアッスリヤに悩まされていましたから、バビロンと同盟を結ぶことは国を守るために非常に効果的に思えたかもしれません。しかし、イスラエルはバビロンではなく主に信頼すべきでした。



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