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申命記 30章1〜10節 2016年3月11日 |
たといあなたが天のはてに追いやられても、あなたの神、主はそこからあなたを集め、そこからあなたを連れ帰られるであろう。(4) 主のお約束、その御旨を知りながらも、ことさらにそれに背いて歩み続ける時、イスラエルの民は国を失い、国々に散らされることになります。しかし、神はそれでも、イスラエルを全く滅ぼし、捨て去ろうとはされませんでした。そこにも神のあわれみと深いご計画がありました。神は散らされた国々にあって、ご自身の民が、なぜ自分たちの身にそのようなことが起こったかを振り返り、悔い改めて主に立ち帰ることを願っておられるのです。
ですから、民が主に立ち帰り、心をつくし、精神をつくして主の声に聞き従う時には、主は再び民を栄えさせ、どんな遠い地に散らされていたとしても、もう一度連れ帰ってくださるのです。そして、その注がれる祝福は、以前にも増して豊かな祝福です。もちろん、その悔い改めは表面的で形だけのものであってはならないでしょう。しかし、主は喜んで私たちを受け入れてくださることをいつも覚えていたいと思います。
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申命記 30章11〜20節 2016年3月12日 |
この戒めは、むずかしいものではなく、また遠いものでもない。・・・この言葉はあなたに、はなはだ近くあってあなたの口にあり、またあなたの心にあるから、あなたはこれを行うことができる。(11、14) 主は決して、誰も実行できないような無理難題を私たちに押しつけようとしておられるのはありません。主は私たちの心に主の言葉を与えてくださいます。心に御言があるということは、「あなたの口に」あるということでもあります。御言は「蜜のように甘い」とあるように、御言は私たちの心の食物です。御言を味わい、毎日食し続けることが、私たちの心の健康を保つ秘訣です。
ただこの「口に」ということには、さらに重要なことがあります。今と違って印刷技術のない時代ですから、御言は、基本的に誰かが読んでくれたものをみんなで聞きました。そして聞いた言葉を繰り返し口に出して暗唱したのです。御言はあなたの口にある、とはまさにそういうことなのです。
御言を口にし、心にとどめ、主を愛して従って行く、それこそが私たちに与えられている命の道、祝福の道なのです。
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