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申命記 2章1〜15節 2016年1月8日 |
あなたがたは既に久しくこの山を行きめぐっているが、身をめぐらして北に進みなさい。(3) イスラエルの民はカデシバルネアでの不信仰の後、三八年間荒野を歩み、最初に数えられた大人たちはみな死に絶えました。そのような中で、神は荒野を出て、北に向かうようにと命じられます。ある意味、荒野を行きめぐり、さまようかのような四十年を終え、新しい道に進むべき時が来ていたのです。
神はイスラエルが道を進むにあたって、セイルに住むエドム人(イスラエルの先祖ヤコブの兄にあたるエサウの子孫たち)や、モアブ人(イスラエルの先祖ヤコブの祖父アブラハムの甥ロトの子孫)と争うことを許されませんでした。主はイスラエル民族を祝されると共に、その親族関係にある人々をも祝福の中にいれてくださったのです。
エドムやモアブの地を通るときには水や食物を買いました。神はイスラエルの民の必要をいつも満たし、「何も乏しいことがない」歩みをさせてくださいました。主が彼らを見守っておられたからです。
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申命記 2章16〜37節 2016年1月9日 |
わたしはヘシボンの王アモリびとシホンとその国とを、おまえの手に渡した。それを征服し始めよ。彼と争って戦え。(24) アンモン人もモアブ人と同じようにロトの血筋にある人々でした。主はイスラエルの民がアンモン人を敵視することも許されませんでした。けれどもヘシボンに住むアモリ人の王シホンとの戦いは避けられないものでした。主は、王シホンとその国を渡しているとおっしゃいました。イスラエルの民は信仰をもって戦い、その地を自分たちのものとしなければなりませんでした。
実際には、エドムや、モアブ、アンモンに対してもそうであったように、モーセはシホンに手紙を送り、その地の通行許可を求めました。しかし、彼らはそれを拒み、イスラエルに対して戦いを挑んできたのでした。イスラエルの民は決して戦いに慣れてはいませんでした。しかし、神に励まされ、背中を押されて、戦わなければなりませんでした。そこには信仰の戦いがあったのです。
そして、主が約束されたとおりにイスラエルの民は大勝利をおさめることができたのでした。
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