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申命記 16章1〜8節 2016年2月13日 |
こうして世に生きながらえる日の間、エジプトの国から出てきた日を常に覚えなければならない。(3) 十六章には、イスラエルの民が守るべき祭について記されています。今日のテキストでは、過越の祭について取り上げられています。過越の祭はイスラエルの民がかつてエジプトで奴隷であったところから救い出されたことを記念する祭でした。エジプト中のういごが死ぬという十番目の災いの時、神はイスラエルの民に、小羊を殺して、その血をそれぞれの家の入り口の二つの柱とかもいに塗り、ほふった小羊を家族で食べるようにと命じられました。そして、この祭の時には種入れぬパンを食べることになっていました。それは、出エジプトの時、パン種を入れて発酵させたパンを焼いている時間がなかったことを思い起こすと共に、「悩みのパン」と言われる、そのパンを食べながら、エジプトでの苦役を思い起こすという意味もありました。またパン種は少量で全体を膨らませることから、汚れを意味していたともされています。いずれにしても、イスラエルの民はいつまでも、この出エジプトの出来事を忘れてはならなかったのです。
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申命記 16章9〜22節 2016年2月14日 |
あなたの神、主はすべての産物と、手のすべてのわざとにおいて、あなたを祝福されるから、あなたは大いに喜び楽しまなければならない。(15) 今日の聖書の箇所には、イスラエルの民が守るべき二つの祭、七週の祭と仮庵の祭が取り上げられています。七週の祭とは、過越の祭から七週後に祝われ、五十日目の祭という意味で、ペンテコステ(五旬節)とも言いました。神がイスラエルと契約を結び、律法を与えられた日としても大切にされました。季節としては五月〜六月頃です。もう一つの仮庵の祭は九〜十月頃ですが、一年の収穫が終わった頃に祝われました。一年の感謝を献げると共に、贖いの日という特別な日が祝われて、その後、この仮庵の祭が守られます。荒野での四十年間の守りと導きを忘れないためでもありました。
イスラエルの男子は、これらの祭のたびに主が定められた町で、この祭を祝い、主の前に出ました。これらの祭は主がイスラエルに与えられた大きな喜びの時であり、楽しみの時でした。私たちも、主が私たちを愛し、あがなってくださったこと、いつも守り導いてくださっていることを、心から喜んで主を礼拝したいと思います。
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