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申命記 9章1〜5節 2016年1月30日 |
これは主があなたの先祖アブラハム、イサク、ヤコブに誓われた言葉を行われるためである。(5) イスラエルの民がヨルダン川を渡って取ろうとしている地にある国々はイスラエルよりも大きく強い国々でした。その町々は天にまで届くかと思われるほど高い城壁で囲まれていました。そこに住む民は大きく、背が高くて、人間的に言うなら、とてもかないそうにありません。しかし、焼きつくす火である主は、イスラエルの前に進み、先住民たちを屈服させ、その地をイスラエルに与えようとしておられました。
それは決して、イスラエルの民が数が多いからとか、強いからとか、また正しい生き方をしているからということでもありませんでした。それはその先住民の人たちの罪が地に満ちていたからです。また、それは、イスラエルの先祖である、アブラハム、イサク、ヤコブに対して、主がその地を与え、嗣がせると、約束し、誓われたからです。
私たちが救われたのもまた、主のあわれみによります。主は、私たちのために十字架の上で、そのあがないを全うし、救いの約束を成就されたのです。
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申命記 9章6〜29節 2016年1月31日 |
それであなたは、あなたの神、主があなたにこの良い地を与えてこれを得させられるのは、あなたが正しいからではないことを知らなければならない。あなたは強情な民である。(6) イスラエルの民が約束の地を与えられようとしているのは、イスラエルの民が正しい民だからではない、かえってイスラエルの民は本当に強情な民だ・・・モーセはいくつもの実例を上げて、そのことをイスラエルの民に思い起こさせます。
主がイスラエルの民に十誡を与え、律法を与えられた時、イスラエルの民は、主に従うことを誓いながら、金の子牛を造って、それを拝みました。タベラにおいては食物のことについてつぶやき(民数記十一章)、マッサでは水のことでつぶやき(出エジプト十七章)、キブロテ・ハッタワでは欲心を起こして神の裁きを招きました(民数記十一34)。その後、カデシ・バルネアでは、約束の地を偵察してきたスパイの報告を聞いてそこには行けないと泣いたのでした。
イスラエルの民が背き、つぶやくたびに、モーセはその民のためにとりなしました。イスラエルの民はただ神のあわれみのゆえにここまできたのです。
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