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申命記 26章1〜11節 2016年3月3日 |
主よ、ごらんください。あなたがわたしに賜わった地の実の初物を、いま携えてきました。(10) イスラエルにおいては同じヘブル人同士では、七年の終わりごとにゆるしがふれ示され、借りていたものは全部ゆるされることになっていました。そのようにして同じ主にある同族の者たちの間に、あまりにも大きな貧富の差が生じ、また貧しい人々がその貧しさから抜け出すことができなくなり、望みを失ってしまうことがないようにされていました。
貧しい人々が助けを求める時に、惜しんだり、心を閉ざしたりしないようにと、主は語られました。貧しい人々に与えたり、貸していたものをゆるすことによって、自分が損をすると思ってはなりません。私たちが与えられているものもみな、もともと主のものですし、心から、惜しむことなく、与える人を主はそのすべての働きにおいて祝福してくださるからです。そのようにして与え、ゆるすことによってかえって豊かになっていくということが起こってくるのです。
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申命記 26章12〜19節 2016年3月4日 |
あなたの聖なるすみかである天からみそなわして、あなたの民イスラエルと、あなたがわれわれに与えられた地とを祝福してください。これはあなたがわれわれの先祖に誓われた乳と蜜の流れる地です。(15) 極度の貧しさの中で、イスラエルの民の中でも、身売りをして、誰かの家のしもべ・奴隷として仕えるということがありました。そのような場合でも、六年仕えたら、七年目には自由の身になることになっていました。その奴隷を自由にすることを惜しんではなりませんでした。かえって「快く」解放するようにとここでは勧められています。彼はあなたの兄弟でもあるからです。そして、そのような生き方に生きる時に、主はすべてのことに祝福すると約束してくださいました。
しかし、もし、その奴隷が自由の身になることよりも、主人と、その家族を愛し、その家でずっと仕えることを願うときには、きりを取って、その奴隷の耳を戸に刺しました。そのようにして耳に穴を開けることを、「耳を開く」と言いました。耳に穴を開けられた奴隷は、その主人の声を聞き、その言葉を聞いて、ずっと従って行くことを願った者として、その家で仕えることができたのでした。
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