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申命記 10章1〜11節 2016年2月1日 |
わたしは前の時のように四十日四十夜、山におったが、主はその時にもわたしの願いを聞かれた。主はあなたを滅ぼすことを望まれなかった。(10) 十章に記されているのは、イスラエルの民が律法を与えられ、従いますと告白したそばから、金の子牛を拝んで神の怒りを招いたときのことです。神はモーセのとりなしを聞き入れ、モーセが用意した石の板二枚に、もう一度十誡を書きしるしてくださいました。
本来でしたら、滅ぼされても仕方のない民です。実際、主は、モーセに対して、自分はこの民を滅ぼす、そしてモーセを通してもう一度約束の民を起こそう、とおっしゃったほどでした。確かにここでモーセがとりなしてくれなかったら、イスラエルの民はここで滅んでしまっていたのでしょう。しかし、同時に、主は、イスラエルの民を滅ぼしたいと思っておられたわけではありませんでした。まさに、主はご自身に近づいて、身を張ってとりなしの祈りをささげる人を待っておられたのです。私たちがこうして今、生かされ、神の恵みの中に入れられているのも、主のあわれみと、主イエスのとりなしによるのです。
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申命記 10章12〜22節 2016年2月2日 |
イスラエルよ、今、あなたの神、主があなたに求められる事はなんであるか。ただこれだけである。すなわちあなたの神、主を恐れ、そのすべての道に歩んで、彼を愛し、心をつくし、精神をつくしてあなたの神、主に仕え・・・(12) 神がイスラエルに願っておられたのはどのようなことだったのでしょうか。それは、主を畏れ、その道に歩み、神を愛して、心をつくし、精神をつくして主に仕えることです。主は、イスラエルの民の先祖たちを愛し、選んでくださいました。そして、その力強いみ手をもって、天の星のように多くの民としてくださいました。そのような神の愛のもとに置かれている民として、神を愛し、仕えて行くことこそが、イスラエルに与えられた使命だったのです。後に、主イエスはこの御言を旧約聖書の最も大切な御言として上げておられます。
主を愛する人は決して、自分の思いに縛られ、左右され、いつでも自分の我を通そうとして強情な生き方をすることはありません。また主を愛する人は、立場の弱い人々をいじめたりすることもありません。かえってそのような人々にも愛を注ぎます。あなたも主に愛されています。あなたは主を愛していますか。
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